2020年02月19日
いまだ林住期は訪れず
ひょんなことから1冊の本と、めぐり合いました。
なかのまきこ著 『野宿に生きる、人と動物』 (駒草出版)
著者は、ホームレスと暮らす犬や猫たちを、無償で診察するフリーランスの女性獣医師です。
「誰かがきっとなんとかしてくれる……その誰かとは、つまり自分自身なのではないか」 と、河川敷や公園で暮らす野宿仲間 (著者は野外で暮らす人と動物たちを、そう呼びます) を訪ねて日本全国を東奔西走します。
なぜ、そこまでして?
読んでいて、そう思ってしまうのは、僕が無関心だったからなんでしょうね。
どこかで、誰かが、なんとかしてくれているものだと、勝手に思い込んでいたのです。
だからこそ、まるで日常生活を綴ったエッセーのように、やんわりと語られる彼女の言葉は、深く心の奥へと突き刺さります。
彼女が交流する野宿仲間の一人に、「カタヤマさん」 という60代の男性がいます。
彼はある日、威力業務妨害の罪で逮捕されてしまいます。
この日、カタヤマさんは、ほかを追い出されて住むところのない野宿仲間をかくまうために、公園にテントを設置しようとしていました。
それを公園事務所の人たちに注意されたため、野宿仲間や彼らを支援する活動家たちと抗議行動を行ったのです。
著者は、獄中のカタヤマさんを訪ねたり、手紙のやりとりを始めます。
もちろん、カタヤマさんの飼っていた2匹の愛犬を保護しながら。
やがて、そろそろ釈放という時、カタヤマさんから手紙が届きます。
<便りありがとう。四月二十日に釈放で二人出ました。僕は、釈放は拒否しました。理由は、「月がとっても青いから遠回りしておうちに帰ろう」 と思ったからです。六十歳を二つ越えて、バカがおおっぴらにできるようになったので、その記念に釈放を拒否しました。>
なんとも粋な理由ですが、本音は別のところにありそうです。
保釈するには、お金がかかります。
そのお金は、彼らを支援する活動をしている人たちで出します。
カタヤマさんは、自分のために皆のお金を使わせたくないと思ったようです。
さらにカタヤマさんから、こんな手紙が届きます。
<インドでは古くから人生を四つに分ける 「四住期」 という考えがあって、それに従って生きることが理想とされてきた。「学生期」 二十五歳位までは、よく学び体を鍛える。「家住期」 五十歳ぐらいまでは、結婚し仕事に励み家庭を維持する。生活が安定したところで 「林住期」 となり、ここでなんと家出をするのだ。仕事を離れ家族を残し、自分ひとりで旅に出て勝手気ままに暮らすのだ。真の生きがいをさがすのだ。存分に自由時間を楽しんだ後、家に帰り元の生活を再開する。ところが、まれに旅に出たまま戻らない者がいて、彼らはそのまま 「遊行期」 に入って行く。>
カタヤマさんは、すでに遊行者なのだろうか?
今の僕と同世代なのに、かなり達観して生きていらっしゃる。
遊行期までは、たどり着けなくても、せめて林住期は迎えたいものだ。
でも僕は、まだ林住期を迎える条件を1つ、クリアしていないのであります。
“生活が安定したところで”
この一文です。
凡人には、なかなか実践できそうもないインドの教えであります。
ところで、ひょんなこととは、著者が、このブログの読者だったということです。
縁とは、異なもの不思議なものであります。
Posted by 小暮 淳 at 12:30│Comments(0)
│読書一昧