2020年07月28日
温泉考座 (13) 「一夜湯治事件」
湯治とは、読んで字のごとく “温泉に入って病を治す” ことです。
現代では死語のような言葉ですが、その昔は 「温泉へ行く」 と言えば、湯治に行くことでした。
春には春湯治、夏には夏湯治、秋には秋湯治、冬には寒湯治へ出かけました。
江戸時代、人々は体を癒やし、明日へのエネルギーを養うため、農閑期や漁と漁の合間に湯治に出かけて行ったのです。
当時は、旅人と湯治客の宿泊施設が、きちんと分けられていました。
旅人は宿場町の旅籠 (はたご) に、湯治客は温泉宿に泊まりました。
旅人が温泉宿に1泊2日で泊まることは許されず、また旅籠に連泊することは、病気などのやむを得ない理由がない限りは認められませんでした。
温泉宿は、湯治目的の長期滞在者だけの宿泊施設だったのです。
ところが、この常識を覆す事件が起きました。
文化2年(1805)年、江戸後期に箱根湯本温泉で起きた 「一夜湯治事件」 です。
元来、1週間以上逗留 (とうりゅう) する湯治客以外は受け入れてはいけない温泉宿が、1泊だけの旅人を泊めてしまったのです。
当然、近くの小田原や箱根の宿は 「旅人を泊めるのはルール違反で、かつ営業妨害だ!」 と怒って、お上 (道中奉公) に訴えました。
しかし、お上の評定は 「おとがめなし」 と、“一夜湯治” を認めてしまいました。
この事件をきっかけに、湯治以外の目的で旅人が温泉宿に泊まるようになったといわれています。
いまは 「温泉へ行く」 と言えば、そのほとんどの人が観光目的です。
医学や医薬が進歩した現代、体の具合が悪いからといって、すぐに休暇を取って温泉へ出かけて行く人は、めったにいません。
では、どうして私たち現代人は、温泉へ行くのでしょうか?
また、どんなときに温泉へ行きたくなりますか?
それは、心や体が疲れたと感じたときではありませんか?
医療技術が発達した現代でも、癒やされたいと “湯治” を求めているからではないでしょうか。
温泉だけが持つ、特別な “湯力 (ゆぢから) ” があることを、現代人も知っているのだと思います。
<2013年7月3日付>
Posted by 小暮 淳 at 13:07│Comments(0)
│温泉考座