2020年12月15日
ようこそ殺人現場へ② もう1つの墓
読者の皆さんは、覚えていますでしょうか?
明治時代に旧子持村 (現・渋川市) で非業の死を遂げた村医者の話を?
俗にいう 「吉原玄宅夫妻殺害事件」 です。
そして長年、この事件を追っていた僕は、先月、高崎市のフリーペーパーにドキュメント記事を掲載しました。
すると、ある読者が編集室を訪ねて来て、謎めいた言葉を残して帰って行きました。
「玄宅の墓は、高崎市にもある」
※(当ブログの2020年11月25日 「ようこそ殺人現場へ」 参照)
さっそく僕は読者とコンタクトを取りました。
そして、ヒントとなる地名と場所を聞き出しました。
「高崎市E町にある公民館を探せ!」
これまた、なんとも謎めいた言葉であります。
本人も正確な情報をつかんではいないようで、それ以上の詳細は教えてくれませんでした。
E町だけでも、いくつかの公民館があります。
市が管轄する有人の大きな公民館から、自治会が管理する無人の公民館まで。
住宅地図を頼りに、1つずつ訪ねるしかありません。
これは、もう、刑事の聞き込みのような地味な作業であります。
ところで、墓を探すのに、なぜ公民館なのでしょうか?
寺院や墓地ではないのでしょうか?
まさに、これが最大の謎として、立ちはだかりました。
当然、公民館を訪ねて、医師の名を告げても 「知らぬ」 の一点張りです。
「なぜ、公民館に墓なのか?」
と、不思議がられる始末です。
ところが、取材の神様とは、突然、降臨するものなのですね。
これで最後、という小さな無人の公民館を訪ねたときです。
敷地内を、くまなく探しても、墓石のようなものなんて、何一つありません。
「やっぱり、タレコミはガセネタだったのか……」
と敷地を出ようとしたときでした。
塀の隣に、小さな墓地が見えました。
「もしかして、ここのことだったりして」
と、恐る恐る入っていくと……
な、な、なんと!
その墓地の墓石に書かれていた名字が、すべて同じだったのです。
そうです、「吉原」 です!
推測するに、ここは一族本家の墓所なのではないか?
ここからたどれば、非業の死を遂げた医師の出生や生い立ち、果ては、なぜ高崎を追われたのかという最大の謎まで探し当てられるかもしれません。
確かに、玄宅の墓は2つあったのです!
謎学の旅は、つづく。
Posted by 小暮 淳 at 15:08│Comments(0)
│謎学の旅