2020年12月28日
温泉考座 (57) 「牧水と温泉宿(下)」
<沼田町に着いたのは七時半であった。指さきなど、痛むまでに寒かった。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になっていた郵便物を受け取った。局の事務員が顔を出して、今夜何処へ泊まるかと訊く。変に思いながら渋川で聞いて来た宿屋の名を思い出して、その旨を答えると、そうですかと小さな窓を閉めた。宿屋の名は鳴滝と云った。>
(『みなかみ紀行』より)
大正11(1922)年10月21日。
歌人の若山牧水は、四万温泉の宿を出て、中之条から電車に乗り、午後、渋川に着きます。
駅前の小料理屋で食事をとった後、ふたたび電車に乗り、沼田まで足を延ばします。
その晩に沼田で泊まった宿が、「鳴滝(なるたき)」 でした。
「鳴滝」 は沼田城下の庄屋屋敷で、大正時代に旅館となりました。
昭和初期に廃業しましたが、その後、元水上町長の高橋三郎氏が建物を購入して、水上温泉郷の一つ、うのせ温泉(みなかみ町) に移築し、「旅館 鳴滝」 として営業を再開しました。
昭和40年代には一時、農協の研修施設として使用されたこともありましたが、同57年に現在のオーナーが買収して、ふたたび旅館として営業を再開。
少しずつ増改築を施しながら、平成14(2002)年に、現在の 「旅館みやま」 がリニューアルオープンしました。
外観はすっかり変わってしまいましたが、それでも本館のそこかしこに当時の面影が残されています。
黒光りした太い梁や大黒柱、時を刻んだ調度品が、歴史の証人のように昔と変わらぬ姿でたたずんでいます。
これらの資材を当時、沼田から馬で運んで来たというのですから、その桁外れの財力と労力に、ただただ感心させられます。
高台に建つ露天風呂からは、かつて 「鳴滝」 があった沼田方面が見渡せます。
もし牧水が生きていて、あのときの沼田で泊まった旅館が、今は温泉宿になっていることを知ったなら……。
温泉好きの牧水のことです。
さぞかし大喜びで、訪ねて来たことでしょう。
<2014年7月9日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:19│Comments(0)
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