2021年03月16日
座敷わらしになれなかったカッパ
≪昔々の、そのまた昔。
ある村は、飢饉(ききん)に見舞われ、食べる物がなくなり、暮らしがままならなくなりました。
考えられた生き残り策は、口減らしでした。
それも育ち盛りの子どもを、一斉に川に流すという残酷なもの。
真夜中になると親たちは、寝ている我が子を抱えて、川のほとりへとやってきます。
「ごめんね、許してね」
「化けて出て来てもいいからね」
泣く泣く親たちは、子どもを川に流しました。
やがて、川に流された子どもたちは、「河の童(わらべ)」 となり、時々、村に現れ、いたずらをしては、親に自分の存在を伝えるようになったといいます。
村人たちは、我が子が帰って来たことを喜び、「河童(かっぱ)」 と呼ぶようになりました。
ところが、同じ村中にも、お大尽の家が何軒かありました。
当然、お大尽の家にも子どもはいます。
しかし、裕福なゆえ、食うには困りません。
だからといって、ほかの村人の手前、我が子だけ生かしておくわけにもいかず、秘策を考えました。
お大尽の家は大きく、部屋がたくさんあります。
屋敷の中の一番奥の部屋に、我が子をかくまい、「決して外へ出ないように」 と言いつけました。
ところが、遊び盛りの子どもですから、外へ出たくて仕方ありません。
昼間は見つかってしまうので、部屋の中でジッとしていますが、家の人や村人たちが寝静まった夜中になると、そーっと部屋を抜け出しました。
それを目撃した村人たちは、びっくり仰天しました。
川に流したはずの子どもが、カッパの姿ではなく、着物を着た子どものままで、屋敷の中を走り回っているのですから。
いつしか、夜中に現れる子どものことは、「座敷童子(わらし)」 と呼ばれるようになりました。
しかも、座敷わらしが現れる家は、すべて、お大尽の屋敷です。
その噂が広まり、「座敷わらしを見ると出世する」 と言われるようになったといいます。≫
という話を最近、聞きました。
貧富の差、格差社会から生まれた悲しい昔話です。
Posted by 小暮 淳 at 11:12│Comments(0)
│謎学の旅