2021年06月04日
湯守の女房 (10) 「本来、温泉は使わせていただいているものです」
鹿沢温泉 「紅葉館」 (嬬恋村)
長野県東御市新張から群馬県境の地蔵峠を越えて約16キロ。
江戸末期から明治期にかけて置かれた100体の観音像が、道の端に延々と並ぶ。
鹿沢(かざわ)温泉の一軒宿 「紅葉館(こうようかん)」 前の百番観音像で終わる。
古くから湯治客が観音像を目印に、この “湯道” を歩いて来た。
「群馬側の交通が開けたのは戦後になってから。ここは風習も行事も信州の文化でした」
と4代目女将の小林百合子さん。
桐生の機屋の娘に生まれ、知人がいる桐生をたびたび訪れていた主人の康章さんに見初められた。
今でも “山の湯” と呼ばれる山奥の温泉宿に嫁いだのは、昭和46(1971)年のこと。
「漬物やみそ造り、薬師様の祭りの準備など、先代の女将がやる姿を見よう見まねで覚えた。私に対しては、ああしろこうしろとは、何も言わない人でした」
と振り返る。
宿の創業は明治2(1869)年。
往時は10軒以上もの旅館があったが、大正7(1918)年の大火で全戸が焼失。
多くの旅館が再建をあきらめ、数軒は約4キロ下りた場所に 「新鹿沢温泉」 を開いた。
湯元の 「紅葉館」 だけが、この地に残った。
源泉は宿より高い場所にあり、階下の浴槽へ自然流下で引き入れている。
「湯に手を加えるな。風呂の形を変えるな」 という先祖からの教え通りである。
時には客から 「浴室にカランやシャワーをほしい。露天風呂もあったほうがいい」 と言われる。
大温泉地の女将から改築を助言されたこともあった。
「大切な湯のことを考えると、うちは、このままが最善。湯という変化のないものを守り続けるには、腰が据わっていないと」。
そう言って、照れたように笑った。
湯は光の加減で深緑色に見えるが、手ですくうとオレンジ色の小さな析出物が無数に浮いている。
源泉の温度は、約45度。
やや熱めだ。
最初は強烈な存在感で、グイグイと体を締めつけて来るが、やがて湯がしみ入るようにスーッと馴染んでくる。
個性的な浴感である。
「いまは全国に入浴施設があって、温泉を便利に使っていますが、本来、温泉は使わせていただいているものです」
今年、5代目の湯守を長男の昭貴さんが継いだ。
これを機に旅館を建て替えることにしたが、浴室と浴槽は先祖の言いつけ通り、そのまま残すことにした。
<2011年7月20日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:33│Comments(0)
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