2021年06月08日
湯守の女房 (11) 「遠路はるばるお客さんが来てくださるのも、温泉が湧いているからこそ」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に紹介します。
湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
※肩書等は掲載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
滝沢温泉 「滝沢館」 (前橋市)
対岸の山腹に、木立に囲まれた小さな宿がある。
橋の上から粕川を見下ろすと、川辺に花畑があった。
「私が育てているんです。この趣味のために」
そう言って6代目女将の北爪弘子さんは、額装された “押し花絵” を見せてくれた。
富士山や赤城山などの風景画が多いが、はじまりは18年前に 「お客さんへ来館記念に差し上げた」 という “しおり” がきっかけだった。
その後、本格的に押し花絵を習った。
現在では宿泊客を対象に、絵はがきやストラップ、キーホルダー作りの体験指導もしている。
弘子さんが主人の行文さんと結婚したのは昭和42(1967)年。
行文さんは証券会社を辞めたばかりで、赤城温泉 (前橋市) にある実家の旅館を手伝っていた。
「主人とは遠い親戚にあたり、小さい頃から知っていたんです。私が栄養士をしていたので都合が良かった。結婚すれば給料を払わなくっていいから」
そう言って笑う。
ところが嫁いで13年後、人生の転機が訪れた。
滝沢館の創業は明治28(1895)年。
湯治場として栄えていたが、次々と経営者が替わり、1970年代には後継者不在となり、休業に追い込まれた。
行文さんは 「秘湯の一軒宿が消えてしまう」 と実家の旅館経営を兄に任せ、昭和54(1979)年4月、夫婦で2キロ下の滝沢温泉へ移り住んだ。
「忙しい時代でした。主人がお客さんと従業員をマイクロバスで送迎して、私が接客と厨房を仕切り、寝る間がないくらいでした」
いまでも全国から秘湯ファンがやって来る。
人気の秘密は、「変わり湯」 と呼ばれる不思議な湯にある。
源泉の温度は約25度。
湧出時は無色透明だが、露天風呂に温泉水を満たし加熱すると、黄褐色に色を変える。
やがて白濁し、半透明となり、時間の経過とともに無色透明へと戻っていく。
その間にも天候や気温により、微妙に色合いを変える。
「遠路はるばるお客さんが来てくださるのも、温泉が湧いているからこそ」
帰り際、女将から手渡された押し花のしおりには、「がんばろう日本」 と書かれていた。
湯と花と女将の笑顔が、旅人を今日も元気づけている。
<2011年8月17日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:25│Comments(0)
│湯守の女房