2021年07月15日
湯守の女房 (18) 「つくづく温泉は生きていると感じます」
川中温泉 「かど半旅館」 (東吾妻町)
和歌山県田辺市の 「龍神温泉」、島根県斐川町の 「湯の川温泉」 とともに、「日本三美人の湯」 の一つになっている。
川中温泉だけは一軒宿だ。
源泉は、雁ケ沢の川底から湧いている。
泉温が約35度と低く、熱交換式で温められているが、一切熱を加えていない昔ながらの源泉風呂もある。
「『湯がぬるい。こんなの温泉じゃない』 って言われ、お客さんに泣かされたことが、たびたびありました」
と、2代目女将の小林順子さん。
榛東村生まれで25年前、ご主人の正明さんと見合い結婚した。
温泉旅館の長男との結婚は、いずれ女将となって旅館を切り盛りすることを意味する。
「夫の真面目な人柄に惹かれました。結婚した相手が、たまたま温泉旅館をやっていただけです」
と話す。
その清楚な表情は、ご主人の好きな竹久夢二の美人画に、どことなく似ている。
「夫は結婚前から温泉の歴史や湯を守ることの大切さを語っていました。『温泉は誰のものでもない。有史以前から湧いている地からの恵みをうちが預かっているだけ』 が口癖でした」
「日本三美人の湯」 に共通した美肌作用は、弱アルカリ性でナトリウムイオン、カルシウムイオンを含んでいること。
皮脂がナトリウムイオンと結びつくと石けんのような洗浄効果をもたらし、カルシウムイオンと置き換わるとベビーパウダーのように作用するといわれる。
とりわけ川中温泉はカルシウムイオンの量が多く、湯上りのツルツル感は群を抜いている。
「最初は温泉の効能なんて、信じていなかったんです。でも実際にアトピーやニキビなどの症状が良くなったお客さんを何人も見てきましたからね。つくづく温泉は生きていると感じます」
温泉の起源は古く、江戸時代には湯小屋が建てられ、明治時代には湯治場としてにぎわっていたという。
しかし、昭和10(1935)年に集中豪雨に襲われ、旅館は跡形もなく押し流されてしまった。
同22年、正明さんの祖父が、湯を惜しむ人たちのために旅館を再建。
父の故・寿雄さんが初代館主に就いた。
「ここに美人がいるわけじゃない。私は心の美人だよ、ワッハハ」
先代女将の故・タミ子さんの豪快な笑い声が懐かしい。
幅広の麺を野菜と一緒に煮込む郷土料理の 「おっきりこみ」 の麺を自ら打った。
その伝統は夫妻に受け継がれている。
<2011年12月7日付>
Posted by 小暮 淳 at 09:45│Comments(0)
│湯守の女房