2021年07月23日
湯守の女房 (20) 「炭火は人の心を癒やす力があります」
上牧温泉 「辰巳館」 (みなかみ町)
山あいの利根川沿いに建つ 「辰巳館(たつみかん)」 は、上牧(かみもく)温泉で最も古い老舗旅館だ。
近くに水上温泉郷という大観光地をひかえながらも、ここは俗化されずに今も静かな湯治場風情を保っている。
大正13(1924)年、田んぼに稲が枯れる場所があり、不思議に思った初代が原因を探ろうと掘ったところ、温泉が湧き出たという。
当初は無料で村人に温泉を開放していたが、昭和2(1927)年に旅館を開業した。
4代目女将の深津香代子さんは辰年生まれ。
伊勢崎市生まれで、東京の大学生時代に群馬出身者の集まりで知り合った主人の卓也さんと24歳で結婚した。
総合商社に就職した卓也さんと2年間、東京で暮らした。
いずれ旅館に入ることは覚悟していたという。
「旅館に入って20年になりますが、今でも宴会時のあいさつは、緊張して声がふるえてしまいます。最初は着物を自分では着れなかったものですから、一からすべて大女将に教わりながら今日まで何とかやってきました」
10年ほど前、卓也さんと香代子さんは、辰巳館が目指す “三温(さんおん)” という言葉をつくった。
<体を癒やす温泉の温もり>
<心が和む人との温もり>
<旬を食す炭火の温もり>
炭火の温もりとは、宿の名物 「献残焼(けんさんやき)」 のこと。
川魚や地鶏、旬の野菜などを炭火で焼きながら食べる上越地方の郷土料理で、その昔、高貴な人に献上した物のおすそ分けを焼いて食べたことから名が付いた。
昭和40年代に先代が今の料理にアレンジした。
「炭火は人の心を癒やす力がありますね。みなさん、ふるさとに帰ったようだと言ってくださいます」
炭火で食に満たされ、心が和み、温泉が体を温めてくれる。
泉質は、ナトリウムとカルシウムを含む硫酸塩・塩化物温泉。
昔から 「化粧の湯」 と呼ばれている名湯である。
“裸の大将” で知られる山下清画伯も、上牧の湯を愛した一人だ。
昭和30年代に幾度となく訪れて、何点もの絵を描いている。
なかでも 『大峰沼と谷川岳』 は、原画をもとに大浴場のタイル壁画になった。
署名部分は清自身がタイルを貼った。
絵の右端に、後ろ姿の清本人も描かれている。
やさしい化粧の湯に抱かれながら、裸の大将を探すのも癒しのひと時である。
「一度は行ってみたいという高級旅館ではなく、何度も普段着で行ける宿でありたい」
女将の言葉が、いつもでも心に残っていた。
<2012年1月18日付>
Posted by 小暮 淳 at 12:20│Comments(0)
│湯守の女房