2021年07月30日
湯守の女房 (21) 「『この、にごり湯がいい』 とやって来られます」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
梨木温泉 「梨木館」 (桐生市)
「ここは今も、私が来た頃と、まったく変わりません。周囲に民家や街灯すらない、本当に何もない山の中です」
と、5代目女将の深澤正子さんは話す。
梨木(なしぎ)温泉は、赤城山の一峰、長七郎山のふところにある。
平安時代、坂上田村麻呂が赤城神社造営のおりに発見したと伝わる。
渡良瀬川の支流、深沢川の奥深い谷間に一軒宿が建つ。
正子さんは旧勢多郡東村 (現・みどり市) の生まれ。
材木商の長女として育った。
主人の亮一さんとは知人の紹介で出会い、昭和45(1970)年に結婚。
同時に旅館に入った。
亮一さんは平成18(2006)年、先代の死去にともない、当主が代々名乗る 「直十郎(なおじゅうろう)」 を襲名した。
「結婚をするなら商売をしている人と決めていました。人と接して話をするのが大好きでしたから、学生時代も親戚の食堂でアルバイトをしていました」
宿の創業は明治15(1882)年。
それ以前は野天の湯屋があり、地元の人たちが入りに来る程度だった。
大正時代になり旧国鉄足尾線 (現・わたらせ渓谷鐵道) が開通すると、湯治場としてにぎわった。
しかし戦後、台風による水害で旅館に通じる県道が流され、昭和40(1965)年には火災で旅館が全焼。
それでも東上州では数少ない温泉が湧いているため宿が再建された。
鉄分を大量に含む黄褐色のにごり湯。
成分が濃いために、析出物が堆積して浴槽の縁が変形してしまうほどだ。
「『にごり湯は汚い』 と嫌われた時代があり、よっぽど湯をろ過して使おうと考えたこともありましたが、今となれば守り通して良かったと思っています。最近は、お客さまのほうが 『この、にごり湯がいい』 とやって来られます」
名物は同54(1979)年に主人が考案した 「キジ料理」。
刺し身、しゃぶしゃぶ、唐揚げ、つみれ鍋など、直営の養殖園で飼育されたキジを使った珍しい料理が、夕げの食卓に並ぶ。
露天風呂付きの客室やビールサーバー、コーヒーメーカーの設置など、新たな温泉宿を演出するのは、長男で6代目の幸司さん。
ホテル専門学校卒業後、石川県七尾市の和倉温泉の老舗旅館 「加賀屋」 で2年間、旅館経営の実務を学んだ。
「従業員に恵まれ、子どもに恵まれ、女将業を続けていられるのも温泉があればこそ。他には何もない所ですが、そのぶん日常から離れて、ゆっくり過ごせる所なんです」
そう言って女将は、赤城山の雪が風花となって舞う戸外を眺めた。
<2012年2月22日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:23│Comments(0)
│湯守の女房