2021年09月16日
湯守の女房 (30) 「これからは、また本来の温泉地の姿に戻るだけです」
水上温泉 「ひがきホテル」 (みなかみ町)
夏の水上温泉周辺は、ラフティングやキャニオニング、バンジージャンプなどのアウトドアスポーツを楽しもうと、都会から車で駆けつける若者たちでにぎわう。
その中にあって、温泉街は昔ながらの落ち着いた湯の町風情が、あちこちに残っている。
なんと言っても草津、伊香保、四万と並ぶ群馬の “四大温泉地” の1つなのだ。
「ひがきホテル」 は射的、スマートボールなどの遊戯場やみやげ物屋が点在する目抜き通りの一角に建っている。
「ホテルも私も昭和27(1952)年の生まれ。ともに還暦になります」
と、ほほ笑む3代目女将の日垣由美さんは富山県生まれ。
父親は旧国鉄マンだ。
大学卒業後、郷里で英語塾を開いていた。
26歳の春、高崎市の叔父に連れられてホテルを訪ね、3代目主人の博史さんと出会った。
遠距離恋愛の末、1年後に結婚した。
「私はよそから来た、まったくの素人だったので、旅館業というものが分かりませんでした。だから、すべて自分流なんです。妻として、母として、何役もこなしたい。女将も自分の顔の1つだと思っています。」
由美さんの名刺には、ひらがなで 「おかみ」 と書いてある。
「“女の大将” なんて、なんだか偉そうで」
宿は、魚の行商で兵庫から群馬に来た博史さんの祖父、浅次郎さんが、世話人から水上温泉を紹介され、「ひがき旅館」 を開業したことに始まる。
交通の便が良く、経済が右肩上がりの高度成長期、バブル経済期には企業や団体の慰安旅行客でにぎわい、温泉地は隆盛の一途をたどった。
しかしバブル崩壊後、様相は一変した。
水上温泉だけでなく、全国の大温泉地が今、あり方を模索している。
「男性客中心の温泉場遊びの時代は、とうの昔に終わりました。これからは、また本来の温泉地の姿に戻るだけです。いつの時代でも変わらないもの、決して変わってはいけないことがあります。日本の料理、調度、もてなしの良さを伝えることが、旅館の役目と思っています」
7年前、東京でサラリーマンをしていた息子の雄亮さんが会社を辞めて、ホテルに入った。
4代目の社長となり、若女将の沙織さんとともに、次世代の水上温泉を見すえている。
「これから、温泉地は絶対に変わります。20年後の水上温泉と息子夫婦のゆくえが楽しみですね」
そう言って、4代目にエールを送った。
<2012年9月5日付>
※ 「ひがきホテル」 は廃業しました。
Posted by 小暮 淳 at 11:04│Comments(0)
│湯守の女房