2022年04月27日
ぐんま湯けむり浪漫 (1) 四万温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載いたします。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
四万温泉 (中之条町)
「なぜ温泉ライターになったのか?」 と訊かれることがある。
はたと言葉に詰まるが、きっかけならば思い当たる節がある。
平成12(2000)年10月、四万温泉協会主催による 「探四万展(さがしまてん)」 というイベントが開催された。
県内外から画家や彫刻家、写真家など12人のアーティストが集まり、四万をテーマに作品を造り、展示発表した。
そのなかの一人に、私もコピーライターとして参加した。
これを機に、何かに付けて四万を訪れるようになり、ついには四万温泉の本を出版することになった。
そのとき、ひと口に 「○○温泉」 と言っても、湯の数だけ歴史があり、宿の数だけ物語があることを知ったのである。
山の神のお告げによる開湯
四万温泉の開湯は古く、平安中期の永延3(989)年と伝わる。
源頼光の家臣で四天王の一人、日向守碓氷貞光(ひゅうがのもりうすいさだみつ) という武将が越後から上野国へ越えるとき、この地を通りかかった。
石に腰かけ、うつらうつらしていると、どこからともなく一人の童子が現れて、不思議なことを言った。
「私はこの山の神である。お前に4万の病を癒やす霊泉を授けよう」
貞光が目を覚ますと、腰かけていた石の下から、こんこんと温泉が湧き出したという。
このことを吉兆と感じた貞光が薬師如来像を安置したことから 「日向見(ひなたみ)薬師堂」、温泉を 「御夢想(ごむそう)之湯」 と名付けた。
戦国時代に開かれた湯治場
四万温泉は清流・四万川の流れに沿って、5つの地区が連なっている。
下流から 「温泉口」 「山口」 「新湯(あらゆ)」 「ゆずりは」 「日向見」。
それぞれに歴史があり、湯の町情緒を漂わせている。
永禄6(1563)年。
岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万を通って落ち延びる城主を守るために、追っ手を防ぎ戦った田村甚五郎清政という侍が、現在の 「山口」 に住み着き、湯宿を開いたとされる。
やがて甚五郎の孫の彦左衛門が分家して、「新湯」 で湯宿を開業した。
以来、田村家は四万温泉の湯守(ゆもり) を務めてきた。
明治23(1890)年に 「山口」 が大火に見舞われ、それ以降は 「新湯」 が四万の中心となり、大正時代に 「温泉口」 と 「日向見」 に、昭和になって 「ゆずりは」 に旅館が開業した。
現在、四万温泉には42本の源泉が湧出し、うち38本が自噴している。
宿の数は35軒、1軒あたりの源泉保有率は全国でもトップレベルである。
湯量豊富な自家源泉を持つ宿が多く、大きな旅館やホテルでも源泉かけ流しの風呂を提供している。
温泉街には5つの外湯 (共同湯) があり、有料・無料に問わず、誰でも自由に入浴することができる。
本来、外湯とは温泉地で暮らす人たちの浴場である。
地域の人たちの厚意により開放されているので、利用する場合は 「湯をお借りしている」 という感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
湯は無色透明で肌触りが良く、リウマチや婦人病に効果があるといわれ、飲用すると胃腸病や整腸作用、食欲増進にも効能がある。
昭和29(1954)年、優れた温泉の効能と豊かな自然環境から 「国民保養温泉地」 の第1号に指定。
また平成5(1993)年には国民保養温泉地の中から特に自然の活用に適した温泉地として、環境省より 「ふれあい・やすらぎ温泉地」 にも指定された。
<2017年5月号>
Posted by 小暮 淳 at 11:26│Comments(0)
│湯けむり浪漫