2019年06月12日
ルースを見た!?
生前、オヤジは、
「俺は、ベーブ・ルースを見た。特大の場外ホームランが、利根川の河川敷まで飛んで行った」
と、自慢していました。
ベーブ・ルースとは、1910~30年代にかけてアメリカのメジャーリーグで活躍した選手で、“野球の神様” とまで呼ばれた偉人です。
野球オンチの僕でさえ知っているのだから、それはそれはスゴイ人なのです。
その “野球の神様” をオヤジは、「見た!」 というのです。
オヤジによれば、昭和6年 (1931) に日本で日米野球が開催され、敷島球場(前橋市) でも行われたといいます。
その試合を見に行って、神様を見たようです。
オヤジが、小学生の頃の話です。
「小暮さんのお父さんは、ベーブ・ルースのホームランを見たことがあるんですってね!」
晩年、認知症を患ってからも、施設で介護職員に、自慢話をしていたようです。
「みたいですね。本当かどうかは、昔のことなんで分かりませんけど」
と、僕はいつも曖昧に返していました。
だって、そんな話は、オヤジからしか聞いたことがなかったからです。
ところが今年になって、思わぬ話を聞きました。
僕がスーパーバイザーをしている、群馬テレビの構成会議での席でした。
「 “敷島球場の謎” っていうのをやろうと思います。例のベーブ・ルースが来たっていう」
プロデューサーの話に、思わず僕は、
「えっ、その話、本当なんですか!?」
と大声を上げてしまいました。
プロデューサーによれば、敷島球場のある地元では、昔からまことしやかに伝わる都市伝説なのだといいます。
伝説では、<昭和9年 (1934) に日米野球大会で来日したベーブ・ルースが、敷島球場での試合でプロ野球創設期の大投手、沢村栄治からホームランを打ち、打球は利根川の河原に落ちた> というものでした。
オヤジから聞いていた話とは、年号や対戦相手など微妙に異なるところもありますが、伝説は本当だったのか?
「それがね、どうも来ていないようなんですよ。日米野球も群馬では開催されていないんですね」
確かに近隣の大宮や宇都宮には来ているので、その試合を見た人が記憶を取り違えたのではないか、というのです。
でもね、調べによると、オヤジだけではなく、「見た」 という年寄りが前橋市には、たくさんいるのです。
はたして、なぜ、都市伝説は生まれたのでしょうか?
先日、その謎を解く可能性がある記事が、地元の新聞に掲載されました。
<敷島の伝説 真相は>
<オドールと混同?>
という見出しに、釘付けになりました。
記事によると、僕と同じく群馬テレビのスーパーバイザーをしている前橋学センター長の手島仁さんが、偶然見つけた昭和初期の新聞記事に触れています。
<日米野球前年の1933年 (昭和8年) 12月24日に、人気大リーガーのフランク・オドールが敷島球場で開かれた中学生 (現在の高校生) 向けの野球教室に参加していた>
当時の新聞には、<.ルースに次ぐ人気選手> <球場にはファン一杯> との見出しが躍っています。
手島さんは、
「野球が敵国のスポーツとされた太平洋戦争中に正しく事実が伝わらず、オドールの盛り上がりが有名なルースに置き換わってしまった可能性がある」
とコメントしています。
オヤジが見たのは、ルースではなくオドールだったのでしょうか?
いえ、オヤジだけではありません。
当時の前橋市民はみんな、オドールをルースと思い込んだまま昭和、平成と生きてきたのでしょうか?
謎学の旅は、続きそうです。
Posted by 小暮 淳 at 17:34│Comments(0)
│謎学の旅