2021年01月23日
温泉考座 (63) 「鎮魂の湯舟」
群馬県沼田市とみなかみ町の境にある三峰山(みつみねやま)の中腹。
関越自動車道をまたぎ、宿と向かい合う丘に、高さ約20メートルの白い塔が立っています。
月夜野(つきよの)温泉の一軒宿 「みねの湯 つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんの父、理(おさむ)さんが平成元(1089)年に、異国の地に果てた戦友をしのんで建立した 「鎮魂之碑」 です。
旧オランダ領東インド (現インドネシア) のジャワ島で軍務についていた理さんは、終戦直後、旧日本軍の残留兵とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐって衝突した 「スマラン事件」 によって、多くの戦友を失いました。
「父は 『これは生き残った者の使命だ』 と言っていました。その父も5年前、86歳で戦友たちの元へ旅立ちました」
と女将は、塔を見上げながら話してくれました。
「鎮魂之碑」 建立の翌年、理さんは遠方から供養に訪れる遺族や関係者のためにと温泉を掘削し、旅館の営業を始めました。
生前、著書 『嗚呼スマランの灯は消えて』(広報社) の中で、<慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所> と記しています。
ここは全国でも美しい地名で知られる 「月夜野」。
平安の昔、京の歌人、源順(みなもとのしたごう)が東国巡礼の途中に通り、三峰山から昇る月を見て 「よき月よのかな」 と深く感銘し、歌を詠んだことが地名の由来と伝わります。
その月夜野盆地を見渡す湯舟からは、左手に子持山から続く峰々を望み、正面に大峰山、吾妻耶山(あづまやさん)といった群馬の名峰が連なり、眼下には棚田が広がり、こんもりとした鎮守の森が、のどかな山里の風景を描いています。
極めつきは夕景の妙!
稜線をシルエットにして、鮮やかな緋色に燃え上がる夕焼けは、息をのむほどに美しい。
やがて、帳(とばり)が下りて、天空の主役が月に替わると、まさに温泉地名にふさわしい “月光の湯” を満喫することができます。
なぜ、ここに鎮魂之碑を建てたのか?
なぜ、ここに温泉宿を造ったのか?
答えは、この絶景にありました。
塔も宿も浴室も、すべて南方のジャワ島を向いて建てられています。
<2014年9月17日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:59│Comments(2)
│温泉考座
この記事へのコメント
ご紹介ありがとうございます。
トロンとした、アルカリ性のお湯も素晴らしいですものね。
ライブも忘れられません。
トロンとした、アルカリ性のお湯も素晴らしいですものね。
ライブも忘れられません。
Posted by タカトシ at 2021年01月24日 12:16
タカトシさんへ
今年もよろしくお願いいたします。
ライブ、懐かしいですね。
またイベントができるようになると、いいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
ライブ、懐かしいですね。
またイベントができるようになると、いいですね。
Posted by 小暮 淳
at 2021年01月25日 10:29
