2021年04月30日
湯守の女房 (2) 「今じゃ、すっかり私も上州人になっちゃった」
倉渕温泉 「長寿の湯」 (高崎市)
清流、長井川をはさんだ宿の向かいに、源泉櫓(やぐら)が立つ。
櫓の下に小さなお堂があり、薬師如来像が祀られている。
薬師像は、源泉の起源300年前と伝わる湯の御利益に対して、旅人たちが感謝を込めて安置した 「湯前(ゆぜん)薬師」 だといわれている。
かつて、ここに温泉が湧いていた証しである。
そして櫓は、ご主人の川崎秀夫さんが丸3年かけて掘削した信念の証しだ。
「『雪解けが早い場所がある。薬師像もあるし、ここは絶対に温泉が出る』 って言い出して、東京から通って掘削したの。でも650メートル掘ったところで、資金が底をついちゃった。お父さんは、もっと熱い温泉が湧くまで掘りたかったらしいんだけどね」
そう言って、女将の節子さんは声高に笑った。
いつ会っても底抜けに明るい女将だが、その半生は決して順風満帆ではなかった。
長崎の高校を卒業した秀夫さんは、東京で地質調査の会社に就職し、日本中のダム建設現場を飛び回っていた。
女将の郷里、山梨で2人は出会い、昭和49(1974)年に結婚。
その後、秀夫さんは東京でボーリング会社を設立。
女将は、会社で経理を手伝っていた。
平成3(1991)年、源泉を掘り当てると土地を購入し、念願の温泉旅館をオープンさせた。
しばらくは地元の人に経営をまかせていたが、やがてバブルが崩壊し、乱脈経営が発覚した。
倒産するか、旅館を売るか。
窮地に追い込まれた。
「最初は 『東京の奥さまに何ができる』 って、地元の人たちから散々なことを言われたけれど、私がやるしかなかったのよ。だって温泉は、お父さんの夢なんだもの。絶対に手放したくなかった」
東京に仕事のある夫と子どもを残し、湯と宿を守るために単身で群馬にやって来てから7年が経った。
孤軍奮闘の中、お客から 「女将さんのやっていることが、いつか評判を呼ぶんだよ」 と声をかけられた。
「結局、地元の人たちに助けられて生きているんだよね。群馬の人は口は悪いけど、心を割って付き合うと、とことん面倒をみてくれる。ずいぶん、助けてもらった」
と言ったあと、
「今じゃ、すっかり私も上州人になっちゃった。あ、はははっ」
と豪快に笑い飛ばした。
3年前、夫も会社を閉めて旅館に入った。
女将が守り通した湯が、浴槽からザーザーと音を立てて、あふれ流れている。
サラリとしたやさしい浴感が評判になり、草津温泉の帰り道に、仕上げ湯として立ち寄る常連客が多い。
浴室で、毎日通って来るというお年寄りと一緒になった。
「ここは湯もいいが、やっぱり女将が一番いいね」
露天風呂から源泉櫓とお堂が見える。
お堂の中では薬師様が、今日も湯と女将のと旅人を見守っている。
<2011年2月23日付>
Posted by 小暮 淳 at 09:48│Comments(2)
│湯守の女房
この記事へのコメント
小暮先生。ここも近いうちに、ここも行きたいです。通るたびにちょっと気になる。
実は、昨日、仕事が終わってから、長寿の湯の道を北上し、鳩の湯に向かいました。午後8時ちょっと前にギリギリチェックイン。水分補給をし、すぐにお風呂へ。木の蓋を入る分だけ開ける。これがまた良いですね。ぬるめの湯なのでゆったり、長めにつかりました。
実は、昨日、仕事が終わってから、長寿の湯の道を北上し、鳩の湯に向かいました。午後8時ちょっと前にギリギリチェックイン。水分補給をし、すぐにお風呂へ。木の蓋を入る分だけ開ける。これがまた良いですね。ぬるめの湯なのでゆったり、長めにつかりました。
Posted by センネンボク at 2021年05月01日 19:07
センネンボクさんへ
相変わらず、フットワークが軽いですね。
鳩ノ湯の木のふた、いいでしょう!
湯を大切にする湯守の心が伝わります。
自分の体が入れる分だけ開ける!
これが鳩ノ湯のツウの入り方。
お見事です。
相変わらず、フットワークが軽いですね。
鳩ノ湯の木のふた、いいでしょう!
湯を大切にする湯守の心が伝わります。
自分の体が入れる分だけ開ける!
これが鳩ノ湯のツウの入り方。
お見事です。
Posted by 小暮 淳
at 2021年05月01日 22:35
