2022年04月29日
ぐんま湯けむり浪漫 (2) 老神温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
老神温泉 (沼田市)
効能を求めて患者が殺到
国道120号は尾瀬・日光方面へ通じる県内屈指の観光ルートである。
しかし、その途中にある椎坂(しいさか)峠は、山道特有の急カーブや急坂が続き、冬季は積雪や凍結により交通の難所となっていた。
平成25(2013)年、この難所に悲願のトンネルが開通した。
これにより走行時間が平常時で約10分、積雪時で約20分も短縮された。
トンネルを抜けて、最初に旅人を迎える温泉が 「老神(おいがみ)温泉郷」 である。
なぜ、“郷” の字が付いているのか?
温泉郷は片品川沿いに細長く、「老神」 「大楊(おおよう)」 「穴原(あなはら)」 の3つの地区にまたがり、昭和初期までは、それぞれ老神温泉、大楊温泉、穴原温泉と呼ばれていた。
昭和10(1935)年4月、3つの温泉地は統合され、「老神温泉郷」 として生まれ変わり、老神温泉旅館組合が発足した。
これにより従来の湯治場から群馬を代表する温泉地へと発展していったのである。
昭和20(1945)年、老神温泉の湯が傷に効果があるとして、沼田陸軍病院老神分院の建設が計画されたが、準備中に終戦を迎えた。
しかし、全国的にまん延した疥癬(かいせん)という伝染性の皮膚病により、県内外から患者が殺到し、一躍、老神の名は広まった。
利根地方には 「脚気(かっけ)川場に瘡(かさ)老神」 という言葉がある。
瘡とは今でいう皮膚病のこと。
昔から、おできや腫(は)れ物に効くことで有名な湯治場だった。
日光の神を追い返した赤城の神
その昔、上野国(こうずけのくに/群馬県) の赤城山の神 (ヘビ) と、下野国(しもつけのくに/栃木県) の二荒山(ふたあらさん/日光男体山) の神 (ムカデ) が仲たがいをし、共にゆずろうとはしなかった。
争いは日増しにエスカレートし、多くの神々が二手に分かれて加勢し、激しい戦いがくり返されていた。
あるとき、油断した赤城の神は敵の矢に当たり、負傷してしまった。
なんとか赤城山のふもとまで逃げ帰ることができたが、二荒の神の軍勢は、すぐそこまで追いかけて来ていた。
その時、傷ついた赤城の神が矢を抜き、地面に突き刺すと、不思議なことに湯が湧き出した。
この湯を浴びると、たちまち傷は治り、陣を立て直して二荒の軍勢を追い返したという。
このことから 「追い神」 が転じて 「老神」 と呼ぶようになったと伝わる。
近隣には 「追い返す」 を意味する 「追貝(おっかい)」 や、「追い払う」 を意味する 「大原(おおはら)」 などの地名が残っている。
しかし一般的に伝わる 「日光と赤城の神戦」 の話は、日光の神がヘビで、赤城の神がムカデである。
なぜ老神温泉だけ伝説の神様が入れ替わってしまったのかは不明だが、地名のいわれについては、こんな説もある。
現在の温泉街の小字名が 「湯の上(ゆのうえ)」 であり、かつては 「ゆのかみ」 と呼ばれていた。
やがて、「おゆかみ」 「おいがみ」 となり、「老神」 の文字が当てられたのではないかという。
<2017年6・7月号>
Posted by 小暮 淳 at 12:44│Comments(2)
│湯けむり浪漫
この記事へのコメント
小暮先生
先週末、「穴原湯」東秀館に宿泊してました。
伊東園山楽荘別館の温泉付き客室(料金同じ!)と迷いましたが、こちらも好きです♨
帰りは赤城山頂温泉掘削地の沢を探索して見事源泉に辿り着きました。
白い湯の花舞う硫黄泉の冷鉱泉でした♨
先週末、「穴原湯」東秀館に宿泊してました。
伊東園山楽荘別館の温泉付き客室(料金同じ!)と迷いましたが、こちらも好きです♨
帰りは赤城山頂温泉掘削地の沢を探索して見事源泉に辿り着きました。
白い湯の花舞う硫黄泉の冷鉱泉でした♨
Posted by こいk at 2022年04月30日 22:26
こいkさんへ
いい宿をご存じですね。
旧穴原温泉、そして直系の経営では老神一古い老舗宿です。
4代目主人の小林さんには、祭りやイベントで、いつも大変お世話になっています。
いい宿をご存じですね。
旧穴原温泉、そして直系の経営では老神一古い老舗宿です。
4代目主人の小林さんには、祭りやイベントで、いつも大変お世話になっています。
Posted by 小暮 淳 at 2022年05月01日 10:34