2021年07月19日
酒井正保先生のこと
<きっかけは13年前に、さかのぼる。当時、私は群馬県内で無料配布されていた生活情報誌の編集人をしていて、毎月、一号一話、編集後記の代わりにコラムを連載していた。タイトルは 『編集長がゆく』。県内で起きている不思議な現象や奇妙な習慣、荒唐無稽な伝説を追って、その謎を解き明かす旅に出ていた。>
『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 「まえがき」 より
このコラムを執筆するにあたり、参考にさせていただいた文献が、民俗研究家・酒井正保先生の著書の数々でした。
酒井先生の著書との出合いは、さらに十数年前にさかのぼります。
<民話や伝説に興味を抱くようになったのは、フリーランスのライターになってまもなくの頃。編集を手がけた 『前橋めっけ ~ぼくら、ふるさと探検隊~』(前橋法人会) という小冊子との出合いでした。前橋市に生まれ育ちながら、見るのも聞くのも初めての摩訶不思議な風習や慣習が残されていることを知りました。しかも、それらは何百年も前から伝わる民話や伝説に端を発しているものが多いのです。>
『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 「あとがき」 より
群馬県前橋市という一地方都市限定の “謎学本” の編集を任されたのです。
「あとがき」 にも書きましたが、この土地に生まれ育ちながらも正直、民話や伝説には無縁の生活をしていました。
そんな手探りでの取材活動の折に出合ったのが酒井先生の著書でした。
『前橋昔がたり』 (朝日印刷)
『前橋とその周辺の民話』 (朝日印刷)
前橋市在住の酒井先生ならではの緻密な取材で集められた、実にコアでマニアックな本でした。
もう僕は夢中になって、先生の他の本も読み漁りました。
そして、「いずれ先生のように、地元に根付いた民話や伝説をテーマに本を書いてみたい」 と思うようになったのであります。
僕は一度だけ、先生にお会いしたことがあります。
といっても、講演会という一方的な場での面識ですが……
当時、すでに先生は80歳を過ぎていましたが、その雄弁に語る民話や伝説の奥深さに、グイグイと引き込まれたことを覚えています。
(当ブログの2011年2月26日 「民話に魅せられて」 参照)
そんな先生が、今年も新著を出版したという新聞広告を目にしたので、速攻、購入しました。
『心に残る上州の伝承民話を訪ねて』 (上毛新聞社)
昨年も 『上州の方言と妖怪の民俗を訪ねて』 (上毛新聞社) を出版していますから、2年続けてということになります。
確か先生は、90歳を過ぎられているはずです。
いったい、そのバイタリティーは、どこから湧いてくるのでしょうか?
そう思ったら、がぜん、僕にも勇気と希望が湧いてきました。
だって、先生の歳まで、まだ30年もあるのですから!
まだ書ける、まだまだ書ける!
酒井先生、いつまでもお元気で、まだ眠っている民話や伝説を掘り起こしてください。
次回の新著を楽しみにしております。
2021年06月27日
さよなら、チェーン・レター
昨日は、フォークロア (噂話や都市伝説) の話をしました。
令和の現代は、ネット社会が、そのメイン舞台となっているようですが、僕が子どもの頃 (昭和の時代) は、アナログのフォークロアが飛び交っていました。
その中でも、最も子どもたちを震撼させ、マスコミにも取り上げられ、社会問題にもなった出来事があります。
「不幸の手紙」 です。
いわゆるチェーン・レター (連鎖手紙) と呼ばれる不特定多数へ送り付ける迷惑ハガキのことです。
ある日突然、自分を名指しで届く、不吉な手紙。
文面は、このようなものでした。
<これは※(1) から始まり、私のところ来た 「不幸の手紙」 です。あなたのところで止めると、必ず不幸が訪れます。※(2) の人は止めたので、※(3)年後に死にました。あなたも※(4) 時間以内に文章を変えずに※(5) 人の人に、この手紙を出してください。私は※(6) 番目です。>
※(1) 国名が書かれている。
※(2) ここにも外国の地名や日本国内の都市名が書かれている。
※(3) 1~5年後と、まちまち。
※(4) 24時間~数日の猶予があり。
※(5) 7~8人くらいから数十人のことも。
※(6) 何千、何万桁の数字が書かれている。
そして文章の隣には、何十人という人の名前が書かれていて、
<一番下にあなたの名前を書き、一番上の人の名前を消してください。>
との注意書きがあるため、“誰から” 送られて来たのかは一目瞭然です。
たいがいは、クラスメートからでした。
僕のところにも数回、届いた記憶がありますが、一度も出したことはありませんでした。
というのも、このテの物をオヤジが大変嫌っていたからです。
「おい、ジュン、お前宛に、こういうハガキが来ているけど、捨てるぞ!」
と、毎回、オヤジにブロックされていました。
「そんなことしたらダメだよ。死んじゃうんだよ!」
と言えば、
「バカ、これは悪質ないたずらなんだ」
と、僕の目の前で、破り捨てるのでありました。
あれから半世紀。
「不幸の手紙」 のウワサは、まったく聞きませんが、完全に消滅したのでしょうか?
それとも変異ウイルスのように進化を遂げ、ネット社会の中で根深く生き残っているのでしょうか?
もしかしたら一銭にもならない “いたずら” は鳴りを潜め、お金になる “サギ商法” として姿を変えているのかもしれませんね。
2021年06月26日
フォークロアの後始末
< 「心霊スポット」 として動画投稿サイト 「ユーチューブ」 で配信し、無断立ち入りなどを助長させてしまったことを悔やむユーチューバーの前橋市の I さん (34) と伊勢崎市のHさん (36) は23日、M市のH神社で賛同した有志らと共に境内の草刈りに取り組んだ。>
(2021年6月24日付 上毛新聞より ※名詞は頭文字にしました)
昔、といっても半世紀も前のことです。
僕が小学生の頃、「お化け屋敷」 の探検ごっこが流行りました。
「お化け屋敷」 といっても遊園地やテーマパークにあるアトラクションではありません。
いわゆる “廃墟” のことです。
小学生だから行動範囲は広くありません。
市内一部の学区内での “廃墟探し” です。
廃墟があれば、それは必ず=幽霊の出る場所、となります。
そして、好奇心旺盛なヤンチャ坊主たちは、こぞって探検に出かけるわけです。
僕が暮らす市内中心部の町内にも、有名な廃墟がありました。
正しくは、ただの “空き家” なんですけどね。
あるとき、先陣を切って探検した悪ガキたちから報告がありました。
「あの家はな、殺人事件があったんだ。その証拠をオレたちは、見つけた!」
悪ガキのボスが言うことには、今でも敷地内に “血の付いた刃物” と “人の骨” があるというのです。
当然、「ウソだ!」 「いや、オレたちは見た!」 と論争になり、最後は、「だったら案内するから放課後、一緒に行こう!」 ということになりました。
そして僕ら普通 (?) のガキたちは、恐る恐る悪ガキたちの後をついて行ったのでした。
壊れた垣根をくぐり抜け、草ぼうぼうの庭に入ります。
家の中には、カギがかかっていて入ることはできません。
「どこに凶器があるんだよ?」
「人の骨なんて、ないじゃないか?」
僕らの問いにボスは、薄気味悪い笑みを浮かべて、こう言いました。
「ほれ、お前たちの足元だよ!」
そう言われて、下を見る僕たち。
朽ちた縁側の下に、刃物と骨のようなものが見えました。
その刹那、一同は 「ワァーーーー!!!!」 と大声を上げて、一目散に垣根をくぐり、廃墟を飛び出しました。
でもね、実は僕だけ、とっても冷静だったのです。
「おーい、ジュン! 早く来いよ、幽霊に呪い殺されるぞ!」
との友人の声を聞きながらも、その場にしゃがみ込んで、じっくりと観察を始めました。
その結果、“血の付いた刃物” は、茶色くサビついた包丁だったんですね。、
“人の骨” らしきものも、小さい骨ばかりで、たぶん野良猫か何かの死骸のようでした。
ということで、今思えば、これらの騒動は、すべてフォークロア (都市伝説) だったのです。
いわゆる、口伝えで広まった “ウワサ” なのであります。
でも、僕らの 「お化け屋敷」 というフォークロアは、半世紀も前ということもあり、町内から外へ広まることはありませんでした。
でも今は、違います。
SNSというツールを使い、ネットで一瞬にして広まってしまいます。
「あれは、ウソでした」
と訂正しても、後の祭りです。
<2人は仲間と共に制作した動画をユーチューブで配信している。心霊スポットを紹介する企画で2年前に同神社を訪れた。その後、別の配信で同神社が荒らされ、壁や窓の破損や落書きの被害に遭っていることを知り、心を痛めた。>
彼らが流したフォークロアとは?
●この神社を訪れ、ビデオを撮影をしたカップルが、帰り道に交通事故で死んだ。
●そのビデオを遺族が再生したら、老婆の霊が映り込んでいた。
●そして老婆は、神社の元管理人で、やはり交通事故死している。
そんな、まことしやかなウワサを配信していたようです。
草刈り清掃は、そんな彼らの罪滅ぼしなのでしょうか?
ウソを流布した代償は、決して軽くないはずですが……
新聞記事によると、ユーチューバーの I さんは、今回の草刈り活動について、こうコメントしています。
「どんな場所にも管理者や近隣住民がいるということを知らせたい。活動を広めることで、一人一人の意識を変えていけたら」
十分に反省しているようなので、少し安心しました。
2021年06月09日
まだ龍を見ていない
きっかけは、4年前の取材でした。
当時、僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に、『ぶらり水紀行』 という旅エッセーを連載していました。
※(一部は上毛新聞社刊 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 に収録)
その日、訪れたのは上野村の野栗沢川にある 「龍神の滝」。
大蛇が棲みついていたという伝説があり、昔は村人が近寄らなかったという滝です。
落差は約20メートル。
3段に分かれて落ちる様は、確かに龍が天へ向かって飛び立とうとしている姿にも似ています。
「小暮さんは、龍を見たことがありますか?」
滝の前で、突然、同行のカメラマン氏に訊かれました。
「りゅう?」
「ええ、龍を見た人は幸運をつかむといわれています」
彼の話によれば、財界や芸能界で活躍する有名人の中には、龍を見てから成功した人が少なくないといいます。
「龍ね、本当にいるのかね?」
「ええ、いるのなら、ぜひ、見てみたいものですね」
その時、僕は一冊の本を思い出しました。
木村秋則・著 『すべては宇宙の采配』(東邦出版)
そうです!
木村さんは、いっとき話題となった “奇跡のりんご農家” と呼ばれた人です。
絶対に不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんごの栽培に成功したニュースは、当時、テレビのワイドショーに取り上げられ、木村さんのキャラもユニークだったため、引っ張りだこだったことを思い出します。
あの時、りんごとともに話題になったのが、“龍の目撃” でした。
木村さんは高校2年生の時と30数年後の2度、龍を見たことが著書には書かれています。
そして、「龍を見た人は幸運をつかむ」 という言い伝え通り、過去に誰もなしえなかった “奇跡のりんご” の栽培に成功したのです。
「龍神の滝」 から4年……
僕は、すっかり龍の存在を忘れていました。
ところが!
また取材の途中で、龍の話題が出たのです。
読者のみなさんは、覚えていますか?
先日、テレビのロケハンで “座敷わらし” の出る宿を訪れた話を?
※(当ブログ2021年6月1日 「霊道を走る座敷わらし」 参照)
あのとき、宿の主人から霊の通り道である 「霊道」 の話を聞きました。
そして、“座敷わらし” は必ず霊道上の部屋に現れることを。
実は、その時、こんな話も聞いたんです。
「霊道の上は、そのまま “龍道” でもあるんです」
「りゅうどう?」
「ええ、龍の通り道です」
なるほど!
霊に道があるように、龍にも道がある。
ということは、目撃例を集めれば、そこに “龍道” が存在するということですね。
手がかりとしては、やはり滝や神社など “龍神伝説” のある場所が、目撃例も多そうです。
必ず、龍の通り道を探してみせますぞ!
謎学の旅は、つづく……
2021年06月01日
霊道を走る座敷わらし
「この廊下が、“霊道” にあたるらしいんです」
「れいどう?」
「ええ、霊の通り道ですよ」
ご主人によれば、この真っすぐのびる廊下の延長線上での目撃例が多いとのこと。
実際に、ご主人も一度だけ、不思議な影を見たといいます。
「深夜、フロントで仕事の整理をしていた時でした。正面に見える、この廊下を白い子どものような影が走り抜けたんです。その日の宿泊客は、外国人のカップルだけ。子どもはいませんでした」
この宿には、こんな言い伝えがあります。
その昔、旅の夫婦が大きな家に、一夜の宿を借りてから、そこに男の子が現れるようになったそうです。
奥さんが、その男の子と遊んであげると、その男の子は 「奥の座敷の床下を掘ってください」 と言ったそうです。
言われたとおりに掘ってみると、なんとそこには大判小判の入った金瓶が埋まっていました。
その後、旅の夫婦は、その家で暮らすようになり、「座敷わらし」 に似た可愛い男の子をもうけ、末永く幸せにくらしたそうです。
(民話 『座敷わらしの家』 より)
「その夫婦が、私どもの先祖だといわれています」
そう言って、ご主人は “霊道” にかかる部屋を一つ一つ、案内してくれました。
3つの部屋は、すべて角部屋です。
しかも、すべて敷地の入り口に立つ、立派な門を見下ろせる位置にありました。
「霊道は、あの門を抜けて、国道へ向かっています」
案内が終わり、ロビーにもどると、畳敷きの小上がりの奥に、たくさんのおもちゃがあることに気づきました。
ミニカー、人形、紙風船、けん玉……
「すべて、お客様が置いて行かれた物です」
「男の子のおもちゃと女の子のおもちゃがありますね?」
「ええ、お客様の話によると、男の子が2人、女の子が1人いるみたいですね」
「3人兄妹なんですか?」
「いえ、違うみたいですよ。年齢もバラバラのようですが、3人とも着物姿というのだけは共通しています」
そう言うと、ご主人は、おもちゃの山の中で、ひと際目立つピンクのクマのぬいぐるみを指さしました。
「これが、“りんちゃん” のお気に入りらしいですね」
「りんちゃん?」
「ええ、女の子の名前ですよ」
「どなたか、名前を聞いたんですか?」
「どうなんですかね……お客様が、そう呼んでいたものですから」
昨日は、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のロケハンで、S温泉に行って来ました。
「ロケハン」 とはロケーションハンティングのことで、撮影に入る前の下見のことです。
僕は番組のスーパーバイザー (監修) をしていますが、ときどき、“ミステリーハンター” という肩書で、番組にも登場します。
いよいよ次回 (7月13日放送) は、「座敷わらし」 を追います。
乞う、ご期待!
2021年05月25日
今さら 「UFOが実在する」 と言われても
ちょうど一週間前だったでしょうか?
新聞の片隅に小さく、こんな記事が出ていました。
<米国防総省で未確認飛行物体 (UFO) に関する情報を収集して分析するプロジェクトの責任者だった元当局者が、米CBSテレビの番組で 「UFOは実在する」 と明言した。>
この記事を読んだ僕の第一声は、「なんで、今さら」 でした。
そんなこと、誰もが知っていることだし、今まで隠していたと思っていたこと自体がナンセンスです。
あれは、物心ついたころ。
幼稚園でのこと。
数人の園児たちと砂場で遊んでいる時でした。
上空を、白い光の玉が編隊を成して、飛行して行きました。
“ボス” と呼ばれるリーダー格の園児が、空を指さして、こう言いました。
「あれが “空飛ぶ円盤” だよ。中には、たくさんの動物たちが乗っているんだ」
園児たちは、騒ぎ出しました。
「なんで?」
「どうして、動物が乗っているの?」
「連れ去らわれちゃったの?」
ボスは言いました。
「人間から動物たちを守るために、宇宙人が助けに来ているのさ」
以来、僕はこの歳まで、ボスの言葉を信じています。
いや、大人になればなるほど、ボスの言葉の真実味は増してきました。
だから僕は幼稚園の頃から、“人間だけが特別” という考え方を持っていません。
ということで、不思議なことが大好きで、別名 「ミステリーハンター」 を名乗る僕ですが、UFOには、まったく興味がありません。
理由は、前述したように “実在” することが前提の “未確認” だからです。
地球だけに生物が、しかも人間のような高度な知能を持った生物が、地球以外にはいないなんて、どうして言えるのでしょうか?
たとえ太陽系に存在しなくても、地球人の人知を超えた知能と技術を持った生物が、この広い宇宙には必ずいるのですから、なんで今さら偉そうに 「実在する」 と発表するのでしょうか?
もし僕が宇宙人なら、こう言ってやります。
「ワレワレハ ナンマンネンモ ムカシカラ コノホシ二 キテイルノニ ナゼ チキュウジンハ ワレワレノ ソンザイヲ ミトメナイノダ? オロカナ イキモノダ」
2021年05月21日
妖精多発地帯
「二度あることは三度ある」 と言いますが、3度あったことが、さらに4度ありました。
たびたび、このブログで報告している “妖精の目撃” です。
昨晩、またしても 「発光飛行生物」 が現れました!
4度目の目撃の報告の前に、軽く過去3回をおさらいしたいと思います。
●1回目=10年以上前の冬の夜に、自転車に乗りながら目撃。
(2010年11月16日 「妖精目撃」 参照)
●2回目=3年前の夏の夜に、自宅の庭で目撃。
(2018年8月15日 「妖精ふたたび」 参照)
●3回目=今年の春の夜に、自宅仕事部屋から目撃。
(2021年4月23日 「三度目の妖精」 参照)
以上の3例を今までに報告しました。
そして前回、目撃した “妖精” の類似点と相違点について、以下のように分析しました。
●類似点=大きさ、スピード、高度
●相違点=目撃した季節
そして今回、新たな違いを発見しました!
2021年5月20日午後10時20分。
空気の入れ替えのため、自宅仕事場 (2階) の窓を開け放したところ、眼下を右から左へ向かって、白く発光する飛行体が、流れるように通過して行きました。
時間と状況は、3回目の目撃とほぼ同じ条件でした。
飛行体の大きさも高度も、ほぼ同じです。
が! 決定的に違っていることが2つありました。
まず、天候です。
昨晩は、雨が降っていました。
その雨の中を光りながら飛んでいたのです。
そして、スピードです。
前3回は、「スーーーーッ」 と、やや早歩きぐらいのスピードでしたが、今回の “妖精” は雨のため家路(?)を急いでいたのかもしれません。
「ビューーーーッ」 とツバメのようなスピードで、通過して行きました。
僕が目撃した “妖精” は、1匹なのでしょうか?
それとも何匹もいるのでしょうか?
いずれにしても、すべての目撃場所が、我が家周辺なのであります。
どこかに “巣” があるのでしょうか?
この生物に心当たりがある方は、ご一報ください。
2021年05月12日
怪談 「迷い道」
昨日、僕はブログに “霊感はない” と書きました。
その後、よくよく思い出してみると、僕自身が体験したことではないのですが、とっても不思議な出来事の “証人” になったことがありました。
それは昔々のこと。
今から45年も前の暑い夏の夜のことでした。
高校3年生の夏休み。
それまでに誕生日を迎えたクラスメートたちは、我先にと、こぞって自動車の運転免許を取りました。
仲間内で一番先に免許を取得したS君から電話があったのは、8月の夜のことでした。
「オヤジが車貸してくれるってさ。今からジュンちへ行くから、ドライブしようぜ!」
時計を見ると、7時を少し回った頃でした。
S君の家は、前橋市に隣接するO町。
県道で一本、車なら30~40分の距離です。
ところが8時になっても、8時半になっても彼は来ません。
9時を過ぎた時、しびれを切らした僕は、S君の家に電話を入れました。
すると母親が出て、
「あれ、小暮君ちへ行くって言って、出て行ったけど」
「それは、何時頃ですか?」
「うーん……、小暮君に電話したんじゃないの? あの後、すぐに出かけたわよ」
いや~な予感がします。
事故に遭ったんじゃないだろうか?
携帯電話のない時代です。
こちらからは連絡ができません。
もし、何らかのトラブルがあり、来れなくなったのであれば、公衆電話からかけてくるはずです。
それができないということは、大きな事故に巻き込まれたのかもしれません。
「どうしたの?」
電話の前でオロオロしている僕を見て、オフクロが声をかけてきました。
「S君が、来ないんだよ」
「S君って、O町の?」
「ああ、もう2時間以上も経っているんだ。ヘンだよね?」
「どこかに寄り道しているんじゃないの?」
「それはありえないよ。すぐ行くって言ってたもの……」
ついに、時計の針は10時を過ぎてしまいました。
これは絶対、何か遭った。
彼の両親に、知らせなくっちゃ!
と電話の受話器に手をかけた時でした。
「外に誰か来たみたいよ。S君じゃないの?」
オフクロの声を聞いて、玄関へ走り、ドアを開けると……
「よっ、おまたせ!」
S君が、いつものはにかんだような笑顔で立っていました。
「おまたせじゃねーよ! いったい、どんだけ待たせるんだよ! 心配かけるなよ!」
友人を罵倒する僕の前で、当の本人は、キョトンとした顔をしています。
その顔は、「何のことを言われているのか分からない」 と言いたげです。
「どこ寄り道してたんだよ?」
「寄り道?」
「そーだよ、今、何時だと思っているんだ?」
彼は、左手を上げて、腕時計を見ました。
「まだ、8時を過ぎたところだけど……」
と言った後、見る見るうちに顔色が変わっていきました。
「何が8時だよ! 10時を過ぎているんだぞ!」
彼の唇が、震え出しました。
「そ、そんな……。オレの時計、狂っているのかな?」
「狂ってなんか、ねーよ! ほら、見てみろ」
と僕は、玄関の柱時計を指さしました。
「2時間も余分に、どこをほっつき回っていたんだよ?」
「……」
「本当のことを言えよ」
「……」
少しの沈黙の後、S君は言いました。
「オレ、2時間も、どこに居たんだろう? 電話を切った後、まっすぐ来たのに……」
信じるか、信じないかは、あなた次第です。
2021年05月11日
身近な恐怖
「霊感って、ありますか?」
「いや、まったく」
「ご興味は?」
「不思議なことは好きですけど」
「今度、この方の怪談会に行こうと思うんですけど、ご一緒しません?」
と言われ、知人女性から一冊の本を手渡されました。
戸神重明/編著 『高崎怪談会 東国百鬼譚』 (竹書房)
なんでも高崎市出身在住の作家さんで、地元の怪談話を集めた本を書いたり、怖い話の朗読をする 「怪談会」 なるイベントも開いている方らしいのです。
家に帰り、借りて来た本をペラリとめくって、驚きました。
というのも、いきなり第1話の冒頭は、こんな文章から始まっていたのです。
<群馬県前橋市に住む小暮さんは、……>
おいおい、これ、俺のことじゃねーの!?
なんて、突っ込みを入れながら一気に読んでしまいました。
それくらいに丸々一冊、“群馬一色” で、地名や施設名など知っている場所ばかりが登場します。
そこで、ハッとしました。
そうか! 知っている “場所” だから怖いんだ!
もしこれが○○県××市だったら 「作り話かもしれない」 と思うし、土地勘のない聞きなれない地名では、他人事に感じるかもしれません。
でも、知っている場所、住んでいる地区となると、「もしかしたら自分も遭遇するかも」 という臨場感が増します。
現に僕は本を読みながら、「この公園って、あそこじゃねーの?」 「おいおい、その公衆電話、使ったことあるぞ!」 なんて、知らず知らずのうちに突っ込みを入れてましたものね。
なんで、この作家は群馬限定に、こだわっているんだろう?
って思っていましたが、
“怪談は身近なモノほど怖い”
からなんですね。
どうか、我が家と我が家のまわりには、現れませんように……
2021年04月23日
三度目の妖精
またまた妖精を目撃しました。
これで3回目になります。
最初は、十数年前の真冬の夜。
自転車を漕いでいた僕を、後方から白い光の玉が、尾を引きながら追い越して行きました。
(2010年11月16日 「妖精目撃」 参照)
2回目は、3年前の真夏の夜。
オヤジの介護中のこと。
深夜にオムツ交換で起こされ、そのまま眠れず、気分転換にと庭に出たときでした。
深呼吸をする僕の頭上を低空飛行しながら、またしても光の尾を引きながら飛んで行きました。
(2018年8月15日 「妖精ふたたび」 参照)
どちらも飛行体の大きさは、ピンポン玉か、それよりやや小さいサイズ。
高度は、僕が背伸びをして手を伸ばしても届かない距離ですから、地上2~3mくらいでしょうか。
さて、この2件の “妖精目撃” ですが、共通点と相違点があります。
共通しているのは、光の大きさとスピード、そして高度です。
異なるのは、目撃した季節です。
十数年前は真冬、3年前は真夏でした。
そして今回は、春!
一年を通して、発光しながら飛ぶ生物なんて、いるのでしょうか?
先週の夜、仕事場でのこと。
部屋の空気の入れ替えをしようと、北側の窓を開けたときでした。
またまた、“彼” は現れたのです。
窓の下 (僕の仕事場は2階です) を、スーーーーっと白い光が横切りました。
十数年前と、3年前と同じ “光る物体” です。
ただ、今までと違うのは、僕の方が高い位置から眺めているということ。
俯瞰した状態での遭遇となりました。
上から見ても、下から見たときと、まったく同じ形状をしていたので、同種類の生物だと思われます。
では、なぜ、この発光飛行体が 「妖精」 なのでしょうか?
その件については、上記の過去ブログをご覧ください。
友人の自称・妖精研究家による分析が記されています。
そして、今回出遭った妖精も “オス” でした。
ぜひ一度、“メス” の妖精に遭ってみたいものです。
2021年04月14日
今日の朝日新聞 “国定忠治の最期の一献 落語に”
以前、僕は、こんなことをブログに書きました。
<1つの謎から1つの連載が生まれ 1つの連載から1つの落語が生まれ 1つの落語から1つの番組が生まれた>
※(2021年3月15日 「明日オンエア!末期の酒 『牡丹』」 参照)
そして、その一連の流れが今日、新聞記事になりました。
朝日新聞 (4月14日付) 群馬版 23面
<国定忠治の最期の一献 落語に>
<処刑前日 所望した上州の地酒は「牡丹」?>
<群大教授の噺家演じる>
記事では、演歌や講談、大衆演劇の主人公として今も人気がある江戸末期の侠客・国定忠治の生涯に触れつつ、処刑前夜に呑んだ地酒のエピソードを題材にした落語ができるまでを紹介しています。
演者は、ご存じ!
我らのたまり場、酒処 「H」 の常連客であり、前橋市が生んだアマチュア落語界のスパースター、都家前橋 (みやこや・ぜんきょう)。
「H」 のカウンターで、注しつ注されつ、酔いし酔われ、語り語られて、誕生したのが落語 『末期の酒』 であります。
記事では、落語の内容にも触れています。
<「最期に何を所望するか」 と牢番侍に聞かれ、「上州の酒を飲んで上州の土に還る。こんな気分のいいことはねえ」 と地酒を所望した忠治。ぐいっと一杯。「もう一杯、どうだ」 と勧められたが、「天下の忠治が、磔(はりつけ)が怖くて、散々に酔っ払って死んだとあっちゃあねえ、こりゃあ、末代の恥になりやす。これで、結構でござんすよ」 と断る。>
この時、呑んだ酒が、加部安左衛門という豪農が醸造していた 『牡丹』 という酒でした。
ということで、記事の最後は落語の原作者である僕の登場です。
さて、どんなことをコメントしたのでしょうか?
興味のある方は、ぜひ、今日の朝日新聞をご覧ください。
いや~、謎学って、面白いですね。
「瓢箪から駒」 ならぬ 「瓢箪から酒」 が飛び出してまいりました。
さて、今後、この酒は、何に化けるんでしょうか?
2021年03月16日
座敷わらしになれなかったカッパ
≪昔々の、そのまた昔。
ある村は、飢饉(ききん)に見舞われ、食べる物がなくなり、暮らしがままならなくなりました。
考えられた生き残り策は、口減らしでした。
それも育ち盛りの子どもを、一斉に川に流すという残酷なもの。
真夜中になると親たちは、寝ている我が子を抱えて、川のほとりへとやってきます。
「ごめんね、許してね」
「化けて出て来てもいいからね」
泣く泣く親たちは、子どもを川に流しました。
やがて、川に流された子どもたちは、「河の童(わらべ)」 となり、時々、村に現れ、いたずらをしては、親に自分の存在を伝えるようになったといいます。
村人たちは、我が子が帰って来たことを喜び、「河童(かっぱ)」 と呼ぶようになりました。
ところが、同じ村中にも、お大尽の家が何軒かありました。
当然、お大尽の家にも子どもはいます。
しかし、裕福なゆえ、食うには困りません。
だからといって、ほかの村人の手前、我が子だけ生かしておくわけにもいかず、秘策を考えました。
お大尽の家は大きく、部屋がたくさんあります。
屋敷の中の一番奥の部屋に、我が子をかくまい、「決して外へ出ないように」 と言いつけました。
ところが、遊び盛りの子どもですから、外へ出たくて仕方ありません。
昼間は見つかってしまうので、部屋の中でジッとしていますが、家の人や村人たちが寝静まった夜中になると、そーっと部屋を抜け出しました。
それを目撃した村人たちは、びっくり仰天しました。
川に流したはずの子どもが、カッパの姿ではなく、着物を着た子どものままで、屋敷の中を走り回っているのですから。
いつしか、夜中に現れる子どものことは、「座敷童子(わらし)」 と呼ばれるようになりました。
しかも、座敷わらしが現れる家は、すべて、お大尽の屋敷です。
その噂が広まり、「座敷わらしを見ると出世する」 と言われるようになったといいます。≫
という話を最近、聞きました。
貧富の差、格差社会から生まれた悲しい昔話です。
2021年03月06日
正解者続々! 「消えた日本一」
<とうとう見つけました!>
<謎を解きました>
そんなメールが頻繁に届くようになりました。
何のことかといえば、以前、このブログで明かした “取材に行ったら思わぬ真実に出合ってしまい、結局、記事にはできなった” 「消えた日本一」 の話です。
※(2021年2月10日付 「消えた日本一」 参照)
その後、「消えた日本一って、なに?」 「どこにあるの?」 といった問い合わせがあったため、僕は追記として、4つのヒントを公表しました。
※(2021年2月23日付 「消えた日本一の反響」 参照)
どうも、この追記した “ヒント” が逆に、火に油を注いでしまったようであります。
ますます問い合わせが増え、それに比例して “正解” を誇らしげに告げて来る人もいました。
でも、こんなこともありました。
某企業へ仕事の打ち合わせに出向いた時のこと。
担当部署へ行く間に廊下で、その社の偉いお方とすれ違いました。
面識のある方ですから当然、丁重に、ごあいさつをいたしました。
すると、突然!
「小暮さん、教えてくださいよ。“消えた日本一” って、どこ?」
えっ、絶句であります。
ま、ま、まさか、こんな偉い方が僕のブログを読んでくださっているなんて!?
しかも、僕が問いかけた謎に、完全にハマっているじゃありませんか!
なんだか知らないところで、謎が謎を呼んで独り歩きを始めているようです。
そろそろ、この辺で止めないと、イライラが伝播して、暴動を起こしかねません。
でも、ここで、真実を公表することもできないのです。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーっ、どうすれば、いいんでしょうか?
ということで、思案の末、みなさんのモヤモヤ解消のため、さらなるヒントを差し上げることにしました。
前回、第4のヒントで出した 「ある部分では、今でも日本一」 の “ある部分” をお教えします。
それは、「顔」 です!
いかがでしょうか?
これで、だいぶ検索でも絞り込めたと思います。
さあ、Let's Try!
(ただし、分かっても内緒にしておいてくださいね)
2021年02月23日
「消えた日本一」 の反響
過日、このブログで 『消えた日本一』 (2021年2月10日付) というタイトルで記事をアップしたところ、大変反響をいただきました。
「ブログを読んだ」 という方から、「どこだか気になる」 「何が消えたんだ?」 「その日本一を教えてほしい」 という問い合わせが多く寄せられました。
やっぱ、気になりますよね~!
直接、問い合わせていただいた方には、あくまでも 「ここだけの話ですよ」 と前置きをした上で、プライベートな世間話として、教えて差し上げました。
でも、いくら個人的なブログであっても、やはり、この場では申し上げられません。
倫理的、社会的な側面を考慮しまして、控えさせていただきます。
「もったいぶって、なんだよ!」
「だったら、ブログなんかに書くな!」
という読者の声が聞こえてきそうですが、これだけは “ネット上のモラル” ですからお許しください。
ただ、ヒントならば差し上げられます。
謎解きゲームのようですが、これから提示する4つのヒントをキーワードに、検索するなり、図書館で調べるなり、知恵と足を駆使して、答えを導き出してみてください。
まず、第1のヒントです。
① その日本一は、昭和60(1985)年5月に完成しました。
その後、マスコミが騒ぎ出し、新聞や雑誌などマスコミにもてはやされました。
第2のヒントは、場所です。
② 群馬県西部の町です。
観光名所としては、大きな庭園と宿場跡が残っています。
第3のヒントは、本当の “日本一” について。
③ 現在、公式に発表されている日本一は、大分県にあります。
最後のヒントは、なぜ、“日本一” のフェイクニュースが生まれたか?
④ 全体ではなく、ある部分だけの大きさならば、現在でも日本一だとされています。
さあ、以上4つのヒントを参考にして、探してみてください。
ただし、もし分かっても、このブログのコメント欄に、地名や固有名詞は書き込まないでくださいね。
(書き込まれた場合、すぐに削除します)
では、Let's Try!
2020年12月15日
ようこそ殺人現場へ② もう1つの墓
読者の皆さんは、覚えていますでしょうか?
明治時代に旧子持村 (現・渋川市) で非業の死を遂げた村医者の話を?
俗にいう 「吉原玄宅夫妻殺害事件」 です。
そして長年、この事件を追っていた僕は、先月、高崎市のフリーペーパーにドキュメント記事を掲載しました。
すると、ある読者が編集室を訪ねて来て、謎めいた言葉を残して帰って行きました。
「玄宅の墓は、高崎市にもある」
※(当ブログの2020年11月25日 「ようこそ殺人現場へ」 参照)
さっそく僕は読者とコンタクトを取りました。
そして、ヒントとなる地名と場所を聞き出しました。
「高崎市E町にある公民館を探せ!」
これまた、なんとも謎めいた言葉であります。
本人も正確な情報をつかんではいないようで、それ以上の詳細は教えてくれませんでした。
E町だけでも、いくつかの公民館があります。
市が管轄する有人の大きな公民館から、自治会が管理する無人の公民館まで。
住宅地図を頼りに、1つずつ訪ねるしかありません。
これは、もう、刑事の聞き込みのような地味な作業であります。
ところで、墓を探すのに、なぜ公民館なのでしょうか?
寺院や墓地ではないのでしょうか?
まさに、これが最大の謎として、立ちはだかりました。
当然、公民館を訪ねて、医師の名を告げても 「知らぬ」 の一点張りです。
「なぜ、公民館に墓なのか?」
と、不思議がられる始末です。
ところが、取材の神様とは、突然、降臨するものなのですね。
これで最後、という小さな無人の公民館を訪ねたときです。
敷地内を、くまなく探しても、墓石のようなものなんて、何一つありません。
「やっぱり、タレコミはガセネタだったのか……」
と敷地を出ようとしたときでした。
塀の隣に、小さな墓地が見えました。
「もしかして、ここのことだったりして」
と、恐る恐る入っていくと……
な、な、なんと!
その墓地の墓石に書かれていた名字が、すべて同じだったのです。
そうです、「吉原」 です!
推測するに、ここは一族本家の墓所なのではないか?
ここからたどれば、非業の死を遂げた医師の出生や生い立ち、果ては、なぜ高崎を追われたのかという最大の謎まで探し当てられるかもしれません。
確かに、玄宅の墓は2つあったのです!
謎学の旅は、つづく。
2020年10月03日
忠治が呑んだ酒
僕は群馬県内のいくつかの観光大使と温泉大使に任命されています。
その数、5ヶ所です。
別にコレクションをしているわけではないのですが、昨年、6つ目の大使が加わりました。
「ぐんまの地酒大使」 です。
任命されたきっかけは、フリーペーパーでの連載記事でした。
2018年3月から高崎市内に無料配布されている 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) でスタートした 『群馬の地酒 ほろ酔い街渡(ガイド)』。
この連載では県内の蔵元をめぐり、地酒を紹介しているのですが、ただ、ちょっと取材方法が変わっています。
電車やバスを乗り継いで、時には何時間も歩いて、酒蔵にたどり着きます。
なぜ、そんなにも手間をかけた取材をするのかって?
それは、“酒を呑む” からにほかなりません。
“呑んだら乗るな、乗るなら呑むな” の社会ルールに乗っ取って、ライターの僕とカメラマン氏の2人で、群馬県内の酒蔵を行脚 (あんぎゃ) しています。
この、こだわり抜いた取材方法は、それだけにとどまりません。
酒蔵を出た2人は、また電車やバスを乗り継いで高崎駅にもどり、その日に取材した地酒を求めて、夜の街へとくり出すのであります。
ここまでの一連の取材が、ドキュメント記事となります。
「ぐんまの地酒大使」 は、この手間暇かけた活動に対して、昨年の4月に委嘱されました。
ということで昨日は、コロナ禍の影響で今年の1月以降、連載がストップしていた “酒蔵めぐり” の取材に行ってきました。
訪ねたのは旧倉渕村(現・高崎市) の牧野酒造であります。
創業は元禄3(1690)年、県内最古の蔵元。
ご存じ、銘酒 「大盃(おおさかずき)」 で知られている県内屈指の酒蔵です。
で、今回、第17代蔵元の牧野茂実社長に話を伺ってきたのですが、取材中に、思わぬトリビアと出合いました。
それは、突然、雑談のときに飛び出しました。
実は僕、「ちいきしんぶん」 には、『ぐんま謎学の旅』 というミステリーエッセイも連載しています。
今年の9月4日号で 「忠治外伝 末期の酒 “牡丹” を探しに」 と題して、国定忠治が処刑される直前に呑んだ幻の酒を紹介したのであります。
この酒は 「牡丹」 といい、嘉永3(1850)年12月、忠治が処刑された大戸村 (現・東吾妻町) にあった加部安という富豪の酒蔵が造っていました。
(加部安は約150年前に廃業しています)
そんな雑談を社長としていた時です。
「忠治は、うちの酒も呑んでたと聞いていますよ」
えっ、えええええーーーーー!!!!
でも、よーく考えてみれば、ありうる話なんです!
加部安が酒造を始めたのは安永8(1779)年ですから、すでに牧野酒造はありました。
「でも、『大盃』 ではありませんよね?」
「ええ、当時は 『長盛(ちょうせい)』 という銘柄でした」
では、なぜ 「大盃」 という銘柄が誕生したのか?
そこには、幕末に活躍したこの地とゆかりの深い人物が関係していたのです。
謎学の旅は、つづく……
2020年09月29日
殺害現場はココだ!
「ああ、その話ね。聞いたこと、ありますよ。昔、といっても私が、ここに嫁に来た頃だから、戦後まもなくだけど……。地元の人から事件のことを知ってからは、怖くてね。あの場所だけは避けて通っていましたよ」
畑仕事をしていた老婆が、手を止めて話してくれました。
「あの場所? 知っているんですか!?」
僕は十年近く前から、ある殺人事件に興味を抱き、コツコツと資料を集めてきました。
その事件とは?
明治31(1898)年12月16日、夜7~8時頃。
群馬県の旧子持村(現・渋川市) 北牧字羽黒の路上で発生した殺人事件です。
医師の吉原玄宅さんが、往診へ向かう途中、何者かに襲われ、手斧で滅多打ちにされ、殺害されました。
これだけなら通り魔による犯行にも思えるのですが、その後、犯人は奇妙な行動をとります。
その足で医師宅へ行き、留守をしていた奥さんを殺害。
家の中を物色して、金品を奪っています。
村中が大さわぎとなり、消防団総出となって八方手を尽くしましたが、犯人は見つかりませんでした。
ところが……
この事件は、あっけない終焉を迎えます。
翌日の葬儀に刑事が張り込んでいると、参列者の中に手をケガしている者を発見。
問い詰めたところ、いとも簡単に犯行を自供したといいます。
なーんだ、どこにでもあるような殺人事件じゃないかと思いましたか?
だったら僕も興味など持ちませんし、躍起になって120年以上も前の事件の資料を集めたり、現場になんて出かけませんって!
ミステリーは、その医師の死後に起きたんです。
※(詳しくは、当ブログの2020年9月4日 「殺人事件の被害者が神になるとき」 参照)
僕は昨日、もう居ても立ってもいられなくなり、長年、調べた資料を握りしめて、3つの現場を訪ね歩いてきました。
まず墓所。
立派な屋根付きの祠の中に墓石がありました。
次に、殺害された医者の住居跡。
これは、「たぶん、このあたり」 という現地の人の証言に留まりました。
そして、殺害現場。
これは、難儀しました。
なにせ現場の住所が、旧地名ですからね。
役場の支所を訪ね、現在の “どこ” に当たるのかを調べました。
ところが、だいたいの場所は分かったものの、“字” のエリアは広い!
田畑が残る場所でしたが、住宅も点在しています。
何よりも聞き込みをしたところで、そんな昔の事件を知っている人なんていません。
(実際、役場の人は、誰一人知りませんでした)
ところが!
突然、取材の神様が舞い降りて来たんです!
近くで畑仕事をしていた老婆に声をかけると、ピンポイントの場所を教えてくれました。
それが冒頭に記した一文です。
そして行ってみると、そこは交通量の多い国道の一角でした。
殺害現場は判明しました。
ところが僕の心の中は、スッキリしません。
まだモヤモヤと何かが、くすぶっています。
それは犯人の “素性” と “動機” です。
葬儀に参列していたということは、顔見知りだったのか?
目的は、殺害なのか金なのか?
そこで読者のみなさんに、お願いがあります。
この事件の詳細を知っている人がいたら、ご一報ください。
俗に 「吉原玄宅夫妻殺害事件」 と呼ばれていますが、まだまだ解明されていない謎の多い事件です。
120年前の地方の田舎町で起きた事件ゆえ、すでに覚えている人もいませんし、残された資料の数も少なく、難儀をしています。
もし、ご存じの方がいましたら、ご協力をお願いいたします。
2020年09月27日
宮子の浦島太郎
<伊勢崎市宮子町を流れる広瀬川に架かる 「竜宮橋」 のたもとに、「竜神の森」 と呼ばれる小高い岩山があり、竜神様が祀られている。この岩山の下には深い淵があり、竜宮城へつながっているという。>
(『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 より)
一昨年、僕は群馬県内の民話や伝説の舞台を集めた 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版しました。
発売当初から新聞やラジオなど各メディアが取り上げてくださったおかげで、話題となり、書店での売り上げも好調のようです。
特にコロナ禍の自粛影響もあり、手軽に身近な謎をめぐることができるガイド本として注目されたようで、出版元からは 「今年の春から急に売れ出した」 との報告もいただきました。
また昨年秋頃からは、民話をテーマとした講演依頼が入るようにもなりました。
長年、「温泉」 をテーマとした講演活動は続けてきましたが、まさか、「民話」 をテーマに話をするようになるとは……
人生は、いつ、なにが、どうなるのか、まったくもって予測不能であります。
先月、高崎市内の某公民館にて、「民話と伝説の舞台」 を演題としたセミナーがあり、僕が講師として招かれました。
本来は地域在住の高齢者向けのセミナーだったのですが、コロナの影響により年齢が下げられ、一般向けとなったため、受講者の年齢は幅広く、市外からの参加者もいました。
その中に一人、県外から参加してくださった僕と同年配の男性がいました。
とはいっても、素性を明かせば、僕の高校時代の同級生です。
以前、このブログにも登場したことのあるチンドン屋の座長さんであります。
※(2020年3月23日 「紙芝居がやって来た!」、2020年6月10日 「コロナ太郎に負けるな!」 参照)
なぜ、彼は遠路はるばる県外から僕のセミナーに参加したのか?
その答えは、セミナー終了後にありました。
「ジュン、久しぶり」
「今日はありがとう。よく来てくれたね」
「このあと、どこかで話せるかな?」
ということになり、ランチがてら近くのファミレスへと向かったのでした。
そして、そこで出た話題が、冒頭に記した伊勢崎市内に伝わる浦島太郎伝説でした。
伊勢崎は、彼が生まれ育った故郷なのです。
彼いわく、「ぜひ、この話を紙芝居にしたい」。
あれから1ヶ月……
僕と彼は、ひそかにメールのやり取りを続けました。
そして一昨日、作画を担当するイラストレーターを伴い、3人で現場の下見に行ってきました。
おりしも台風の影響で、関東地方は朝からあいにくの雨です。
しかも、僕らが竜宮の森に着いた時には、より雨足が激しくなっていました。
「こりゃ、なんだか、我々の訪問をはばんでいるようだな」
と、不安顔の彼。
だから僕は、言ってやりました。
「竜神様は、水の神様なんだよ。伝説でも、この森の上を竜が舞い、雷鳴がとどろき、激しい雨を降らせているんだ」
「だったら、これは歓迎されているのか?」
「そうだよ」
そして僕らは、森の中にある浦島太郎が祀られている龍神宮へ向かって歩き出しました。
謎学の旅は、つづく……
2020年09月10日
うれしたのしトリビア会議
おかげさまで、このコロナ禍においても、順調に撮影は続いています。
群馬テレビの人気謎学バラエティー番組 『ぐんま!トリビア図鑑』。
僕は放送開始の2015年4月より、番組のスーパーバイザーを務めさせていただいています。
今年で6年目。
オンエアも今週の放送で、第218回を数えます。
これもひとえに、スポンサー様およびコアな視聴者様の賜物です。
関係者の一人として、厚く御礼を申し上げます。
なーんて、堅苦しいあいさつで始まってしまいましたが、要は、とっても楽しいんです!
3ヶ月に1回開かれる企画構成会議が、昨日、行われました。
プロデューサー、ディレクター、放送作家らが集まり、僕も末席に参加させていただきました。
そして、2時間以上もの白熱した討論の末、11月~来年1月までのテーマと担当者が決まりました。
出席者のみなさん、大変お疲れさまでした。
また局のスタッフのみなさんには、“3密” に気を遣いながらの会場のセッティング、資料の用意、お茶の準備等、大変お世話になりました。
ありがとうございます。
ということで今回は、会議からオンエアまでの番組の流れを簡単に紹介したいと思います。
① まず会議では、各々が持ち寄ったネタが発表されます。
② 過去に放送したネタとの重複の有無、“落としどころ” と呼ばれる起承転結の 「転」 と 「結」 の部分について話し合います。
③ 「決定」 すると、担当するディレクターおよび放送作家、レポーター(局アナorフリーランス) を選出します。
④ 後日、ディレクターと放送作家がロケハン(ロケーション・ハンティング) と呼ばれる現地の下見に行きます。
⑤ そして、撮影当日を迎えます。
⑥ その後、編集作業を経て、オンエアとなります。
僕は、スーパーバイザーでもありますが、“ミステリーハンター” という肩書で、時々、番組にも出演するため、自分が提案したネタが採用された場合は、ロケハンにも同行します。
先週、一本、ロケハンを済ませてきました。
いよいよ来週、収録となります。
内容については追って、ご報告いたします。
今後とも 『ぐんま!トリビア図鑑』 を、よろしくお願いいたします。
●放送局/群馬テレビ(地デジ3ch)
●放送日/火曜日 21:00~21:15 (毎月最終火曜日を除く)
●再放送/土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
2020年09月04日
殺人事件の被害者が神になるとき
あれは、もう20年近くも前のこと。
取材で、鎌倉の円覚寺へ行きました。
このお寺には、たくさんの著名人が眠っています。
映画監督の小津安二郎、女優の田中絹代、作家の開高健……
その中に、坂本弁護士一家の墓もありました。
忘れもしない、平成元(1989)年11月4日にオウム真理教の幹部たちにより殺害された事件の被害者です。
墓前に立つと、非業の死を遂げた無念への怒りに似た感情が込み上げてきました。
手を合わせた時、確かに他の著名人とは異なる、“願い” がありました。
「いつか、この人は、神になる」
その時、そう思いました。
民話や伝説の世界にも、庶民信仰により、神と崇められるようになった人物がいます。
人が非業の死を遂げると、民衆は、その怨念を果たしてやろうと願うようです。
群馬県にも、明治時代に非業の死を遂げた医者が、その後、信仰の対象となった伝説 (これは史実のようです) があります。
明治31(1898)年12月16日の夜。
北群馬郡子持村白井(現・渋川市) の医師、吉原玄宅は、往診の帰り道、何者かに襲われ、手斧で滅多打ちにされ殺害されました。
犯人は玄宅を殺害後、さらに玄宅の家へ行き、玄宅の妻も襲い、同じく手斧で殺害したのです。
犯人は顔見知りだったようで、翌17日の葬儀に現れたところを、張り込んでいた刑事により逮捕されました。
金品を奪うのが、目的だったようです。
夫妻は、今でも市内の墓地に眠っていますが、「お参りするとすべての病気が治る」 といわれ、参拝者が絶えないといいます。
また、墓石を欠き、粉にして飲むと中風に効くともいわれ、墓石が削り取られてしまったため、現在は祠に覆われています。
非業の死を遂げた者の果たせなかった情念に対して、民衆が代わりに信仰によって果たそうとする伝承の力を感じます。
玄宅医師にせよ、坂本弁護士にせよ、生前の “徳” が死後も人々の心を動かし続けていることには違いありません。
人生は、いつ何時、何が起こるか分かりません。
日々の徳積みが、大切なのですね。