温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年11月09日

温泉考座 (44) 「なぜ温泉まんじゅうは茶色い?」


 温泉地のみやげの定番といえば、「温泉まんじゅう」。
 日本全国どこの温泉地へ行っても、必ずと言っていいほど売っていますが、ほとんどの場合、あんこが茶色い皮に包まれています。

 なぜ皮が茶色いか知っていますか?
 それは伊香保温泉 (渋川市) が、温泉まんじゅう発祥の地だからです。

 開湯から約1,400年の歴史がある伊香保温泉には、色の異なる2つの源泉が湧いています。
 鉄分の多い茶褐色の湯は 「黄金(こがね)の湯」 と呼ばれ、夏目漱石や芥川龍之介、島崎藤村ら、多くの文人墨客に愛されてきました。
 泉質は血圧降下や動脈硬化の予防に効果が高いといわれる硫酸塩温泉で、昔から婦人病に良く効くため 「子宝の湯」 としても親しまれています。

 もう1つの源泉は 「白銀(しろがね)の湯」。
 こちらは平成になってから発見された、保湿効果のあるメタけい酸を含有する無色透明の温泉です。

 この 「黄金の湯」 と同じ色のまんじゅうを最初に作ったのが、明治43(1910)年創業の老舗菓子店 「勝月堂」 でした。
 昭和初期に皇室への献上品に選ばれたことがきっかけで全国に知られるようになり、 多くの温泉地で同じような茶色の温泉まんじゅうが誕生したといわれています。
 ちなみに伊香保温泉では、湯の色を表現していることから 「湯の花まんじゅう」 と呼ばれています。

 現在、伊香保温泉には 「湯の花まんじゅう」 を売る店が約10軒ありますが、石段街で営業を続けている 「勝月堂」 では、今でも昔と変わらぬ製法で、まんじゅうを手作りしています。
 そのため大きさは不ぞろいですが、黒糖を使い表現した皮の色は、まさに 「黄金の湯」 そのもの。
 弾力のある柔らかな茶色い皮に、甘さひかえめのこしあんが包まれた上品な味わいは、伊香保温泉を訪れる観光客や温泉ファンに愛されています。

 このほかにも、温泉記号発祥の地といわれる磯部温泉 (安中市) や国民保養温泉地の第1号に指定された四万温泉 (中之条町) など、群馬県内には全国に誇れる温泉逸話がたくさんあります。


 <2014年3月26日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 09:59Comments(0)温泉考座

2020年11月04日

温泉考座 (43) 「先人たちの知恵 『合わせ湯』 」


 泉質の異なる2つ以上の温泉に入ることを 「合わせ湯」 といいます。
 代表的な合わせ湯が、昔から群馬県にはあります。
 それは草津の 「仕上げ湯」 です。

 草津温泉は、自然湧出量が毎分約3万2,000リットルと日本一を誇る名湯ですが、そのすごさは湯量だけではありません。
 優れた泉質こそが、全国から人々を引き付けてきました。

 強酸性であるため殺菌力が強く、皮膚病に特に効果があり、古くから湯治場として栄えてきました。
 その酸性度は、ほぼ胃液と同じ。
 五寸釘が10日で溶けて針金のようになってしまうといいます。
 当然、大腸菌やレジオネラ菌は死滅してしまいますから、消毒剤を投入する必要もありません。

 しかし、それゆえ浴客は肌荒れなどの 「湯ただれ」 に悩まされました。
 この肌を整えるために、昔から草津温泉の帰り道に立ち寄った温泉があります。
 これを草津の 「仕上げ湯」 や 「なおし湯」 、「あがり湯」 「ながし湯」 などといい、中性や弱アルカリ性の肌にやさしい温泉が好まれました。

 建久2(1191)年、源頼朝が草津温泉の帰り道、沢渡温泉の湯に入ったところ、湯ただれが治り、肌がきれいになったことから草津の 「なおし湯」 といわれるようになったと伝わります。
 今でも沢渡温泉は 「一浴玉の肌」 と呼ばれるやわらかい湯が評判で、「美人の湯」 として知られています。

 また川原湯温泉にも同様の頼朝発見伝説があり、こちらは草津の 「あがり湯」 といわれています。
 そのほかJR吾妻線沿線には、四万温泉や花敷温泉といった 「仕上げ湯」 が点在しています。

 草津温泉の強い泉質でケガや病気を治し、仕上げ湯で肌を整えてから帰途につく。
 2つ以上の湯を合わせることにより、健康と美容を維持した先人たちの知恵のたまものといえます。

 万能な温泉なんてありません。
 いくつかの温泉を合わせることで湯治効果を高める 「合わせ湯」 を、私たち現代人も実践してみてはいかがでしょうか。

 <2014年3月19日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:51Comments(0)温泉考座

2020年11月01日

温泉考座 (42) 「名前を変えた温泉」


 小野上温泉 (渋川市) は、かつては 「塩川鉱泉」 といい、傷に効く名湯として知られていました。
 歴史は古く、温泉を祀った湯前薬師の石堂には、寛文4(1664)年12月に創建されたことが刻まれています。

 昭和初期までは湯治客でにぎわっていましたが、戦後になってからは湯量の減少や交通の不便さから、次第にすたれていきました。
 昭和53(1978)年、旧小野上村が新たな源泉を掘削したところ、毎分270リットル、約40度の温泉が湧出。
 浴槽と建物を造り、入浴施設をオープンしました。
 宿泊施設のない、大広間で休憩するヘルスセンター方式の温泉施設は当時まだ珍しく、村内外から大勢の人々がやって来ました。

 村は利用客からの要望もあり、より大きな浴槽と建物を建て、湯量を得るために新源泉の掘削をしたところ、毎分500リットル、約50度の温泉が湧出。
 昭和56年3月、「小野上村温泉センター」 がオープンしました。
 大露天風呂、カラオケステージ付きの休憩室、食堂や個室までもが設置されました。

 現在では当たり前の設備ですが、当時は全国でも “日帰り温泉施設” の草分け的存在だったため、利用客は年間20万人を超える大盛況となりました。
 いつしか人々は 「塩川温泉 小野上村温泉センター」 を略して、「小野上温泉」 と呼ぶようになりました。
 その人気のほどは、平成5(1993)年にJR吾妻線 「小野上温泉駅」 が開設されたことでも分かります。

 小野上温泉駅の開設後も、しばらくは温泉地名を 「塩川温泉」 と名乗っていましたが、平成18年の渋川市との合併を機に、源泉名と温泉地名を正式に 「小野上温泉」 と改名。
 湯量豊富な新源泉の掘削と温泉センターの集客力により、この地に新たな温泉地が誕生しました。

 県内には改名した温泉地が、いくつも存在します。
 水上温泉 (みなかみ町) は、かつては湯原鉱泉といいました。
 赤城温泉 (前橋市) は湯之沢鉱泉、霧積温泉 (安中市) は入之湯鉱泉と呼ばれていました。
 温泉地名の由来や歴史を調べてみるのも楽しいものです。


 <2014年3月12日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(6)温泉考座

2020年10月28日

温泉考座 (41) 「北に名湯 南に薬湯」


 「なーんだ、ここは沸かし湯か!」

 時々、温泉場で、こんなことを言う人を見かけます。
 決まって年配の男性です。
 “沸かし湯” とは、温度の低い温泉を加温して使用していることを指す言葉です。
 この人たちは、本物の温泉は、すべて温かいものだと思い込んでいるようです。

 しかし現在の温泉法では、温度が25度以上あれば無条件に 「温泉」 と認める一方、温度にかかわらず定められた成分が基準値以上含まれている場合も 「温泉」 と認めます。
 このあたりが、年配の人たちには誤解を招きやすいのでしょう。
 なぜなら昔 (戦前) は、地中から湧き出る泉は飲用を除き、すべて 「鉱泉」 と呼んでいました。
 そのうち温かいものを 「温泉」、温度の低いものを 「冷泉」 (冷鉱泉) と呼び分けていたからです。

 群馬県は、赤城山―榛名山―浅間山の火山ラインを境にして、北側の山岳部には温度の高い温泉が湧き、南側の平野部では温度の低い温泉が湧いています。
 例外を除いて、火山帯のない平野部に高温泉が自然湧出することはありません。

 平成以降、ボーリング技術が飛躍的に進歩し、大深度掘削による平野部の温泉が急増しました。
 地温は100メートル深くなるごとに2~3度ずつ上昇しますから、平均地温が15度だとしても1,000メートル以上掘れば、40度以上の温かい温泉を掘り当てることができるのです。
 温泉法では25度以上あれば 「温泉」 と認められますから、日本中どこでも温泉が湧いてしまうことになります。

 そんな現代において、わざわざ加温してまで入る冷鉱泉の存在は見逃せません。

 県の南部には開湯から何百年と経った今でも、その効能を求めて遠方より多くの人が訪れている薬湯が点在します。
 坂口温泉 (高崎市) 、猪ノ田温泉 (藤岡市) などは、昔から 「薬師の湯」 と呼ばれ湯治場として親しまれてきました。

 医学が発達していなかった時代のこと。
 万病を治してくれる薬師の湯は、人々のよりどころだったに違いありません。
 だから私は、冷鉱泉のことを 「沸かし湯」 だなんて言えません。

 群馬は、「北に名湯あり、南に薬湯あり」。
 そう思っています。

 ※坂口温泉は現在、休業しています。


 <2014年3月5日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(4)温泉考座

2020年10月26日

温泉考座 (40) 「不思議な井戸水」


  このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第3弾として、2013年4月~2015年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『小暮淳の温泉考座』(全84話) を不定期にて、紹介しています。
 (一部、加筆訂正をしています)


 “温泉だと思ったら水道水だった!”
 
 平成16(2004)年、日本列島をショッキングなニュースが駆けめぐりました。
 長野県の温泉地で発覚した入浴剤投入事件に端を発し、全国で水道水や井戸水を沸かして温泉と称していた事実が、次々と報道された 「温泉偽装問題」 です。

 ところが、この騒動とは、まったく正反対のいきさつを持つ温泉宿があります。

 大胡温泉 「旅館 三山センター」 の女将、中上ハツヱさんが旧大胡町 (前橋市) の農家に嫁いだのは、昭和31(1956)年のこと。
 「いつか商売をしたい」 と思っていた女将は、13年後に飲食店を開業。
 さらに13年後には、宿泊棟を増設して念願の旅館経営を始めました。
 この時、井戸を掘り、井戸水を沸かして大浴場を造りました。

 平成6(1994)年の夏、3人の女性客が4日間滞在し、日に4~5回入浴して帰って行きました。
 1ヶ月ほどした、ある日のこと。
 同じ客の一人が訪ねて来て、「ここの湯のおかげで、神経痛が治った」 と、礼を述べたといいます。
 どうも客は、ここの湯が温泉だと思っていたらしいのです。

 驚いたのは、女将のほうでした。
 「ならば持病のリウマチにも効果があるかもしれない」 と、その日から毎日、2~3回の足湯と朝夕の入浴を続けたところ、2ヶ月後に腕の激痛が治まり、4ヶ月後には完全に痛みが消えてしまったといいます。

 その間にも客からは 「よく温まる」 「湯冷めをしない」 という声が多くなり、「もしかしたら、ただの井戸水ではなく、温泉かもしれない」 と県に検査を依頼したところ、『メタけい酸をはじめとする多くの成分が含有』 する天然温泉であることが判明。
 旅館を始めて、ちょうど13年目のことでした。

 これが口コミで広がり、リウマチや神経痛に苦しむ人たちが、うわさを聞きつけ、県内はもとより東京や埼玉方面からも連日やって来るようになりました。

 「私の人生は、いつも13年ごとに転機がやって来るのよ」
 そう言って女将は笑いますが、世の中には不思議な話があるものです。


 <2014年2月26日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(4)温泉考座

2020年10月23日

温泉考座 (39) 「本当の豊かさとは?」


 「お客が変わった」
 戦前から商いを続けている老舗旅館に話を聞くと、必ず返って来る言葉です。
 昔の客は 「泊めていただく」、今の客は 「泊まってやる」 なのだそうです。
 「温泉が、ありがたかった時代の話ですよ」
 そう言ったご主人がいました。

 背景には、高度成長期以降の温泉地の変貌があります。
 その昔、「温泉へ行く」 といえば “湯治” のことですから、客はすべて長期滞在者でした。
 自ら食糧を持ち込み、自炊をしながら何日も過ごします。
 ですから湯と床を提供してくれる宿に対して、「泊めていただく」 という感謝の気持ちがありました。

 しかし、1泊2食の宿泊が主流となった現在、温泉地は日常のストレスを発散する観光地となってしまいました。
 客は “上げ膳据え膳” の食事と、“お殿様あつかい” される過剰サービスに優越感を求めるあまり、「泊まってやる」 という横柄な態度になったといえます。

 平成以降に増えた日帰り温泉施設が拍車をかけました。
 わざわざ遠い山奥まで行かなくても、街の中で温泉に入れるようになったからです。
 「温泉があるだけでは客はやって来ない」 と旅館やホテルは、ますます料理やサービス、設備に力を入れ、温泉以外の付加価値を売り物にするようになりました。

 “湯が神様” だった時代は、はるか昔のこと。
 今では “客が神様” へと主客転倒してしまいました。
 「露天風呂がない」 「貸切風呂がない」 「洗い場にシャワーがない」 「部屋にエアコンがない」 「川の音がうるさくて眠れない」 「館内に虫がいる」 ……。
 そんなクレームの嵐に、秘湯の宿から悲鳴が聞こえてきます。

 「質素な料理でも長期滞在をしながら、のんびりと湯を浴(あ)んでいた時代と、1泊で豪華な料理をお腹いっぱい食べて、翌日には帰ってしまう現代と、どちらが豊かなんでしょうね?」
 そう言った女将さんがいました。

 本当の豊かさとは?
 
 温泉地の変遷を通して、おぼろげながら答えが見えてくるようです。


 <2014年2月19日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:01Comments(2)温泉考座

2020年10月19日

温泉考座 (38) 「青い鳥が見つけた魔法の水」


 「古湯 (ことう)」 といわれる歴史のある温泉地には、必ずといっていいほど温泉の発見伝説が残っています。
 いくつかのパターンがあるのですが、その一つに 「動物発見伝説」 があります。

 クマ、シカ、サル、イノシシ、ツル、イヌ、ヘビ、キツネ、タヌキ……。
 傷や病を負った動物が、温泉につかっているのを猟師や村人が見つけたと語り継がれているものです。
 史実かどうかは、はなはだ怪しいのですが、鹿沢温泉 (嬬恋村) や鳩ノ湯温泉 (東吾妻町)、猪ノ田温泉 (藤岡市) のように動物の名が付いている温泉地もあり、調べ出すと興味は尽きません。
 昭和以降に発見された温泉の中には、史実として発見のエピソードが語られている温泉もあります。

 群馬県の最南端、埼玉県と隣接する上野村に野栗沢温泉 「すりばち荘」 という一軒宿があります。
 まさに、すり鉢のようなV字谷の底にある小さな旅館です。
 昭和58 (1983) 年、地元に生まれ育った黒沢武久さん (故人) が、泉の水を引いて旅館を開業しました。

 「とにかく、この水を飲んでみろ! 絶対に二日酔いしないから」 と、最初に泊まった晩に、ご主人にすすめられて飲んだ源泉は、かなり塩辛い塩化物泉でした。
 ところが、この水は、魔法の水だったのです。

 上野村には、昔から青い鳥が飛来していました。
 アジアの限られた地域に分布する、緑色の美しい羽を持つ 「アオバト」 です。
 海水を飲むことで知られ、日本では北海道~四国、伊豆七島などで繁殖し、温暖地で冬を越します。
 上野村に姿を見せるのは、5~10月の半年間。
 海水に似た泉の水を飲みにやって来ます。
 その数、約3千羽!

 「野栗沢の人は昔から、この鳥を捕まえて食べていたんだよ。産後の肥立ちが悪い婦人に食べさせれば、見る見る回復した。また泉の水を飲みながら農作業をすると、不思議と疲れないんだ。水筒に入れて、畑仕事に持って行ったものだよ」
 と、ご主人は話してくれました。

 現在は、アトピー性皮膚炎など皮膚病に効く温泉として、全国から湯治客が訪れています。


 <2014年2月5日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:50Comments(0)温泉考座

2020年10月15日

温泉考座 (37) 「未病のための湯治」


 「温泉は病気には効かないが、病人には効く」
 と言われます。
 これは、どういうことでしょうか?

 温泉には様々な効能があり、その泉質で効果がある症状を 「適応症」 といいます。
 温泉地に掲示されている 「温泉分析書」 の適応症の項目を見ると、神経痛や関節痛、筋肉痛、五十肩などの疾患や症状、または消化器病や皮膚病、婦人病、動脈硬化症、高血圧症といった慢性病のたぐいが書かれています。

 しかし、決して病気や症状が “治る” とは書かれていません。
 日本で温泉療法は、医療としてヨーロッパのようには認められていないからです。

 では、なぜ温泉には効能があるのでしょうか?
 これが 「温泉は病気には効かないが、病人には効く」 と言われるゆえんです。
 言うなれば温泉には、漢方でいうところの “未病 (未然に病気を防ぐ)” 効果があるのだと、私は考えます。

 日本人の平均体温は36.5度前後ですが、最近は35度台の低体温の人が増えているそうです。
 この低体温化は、入浴をシャワーだけで済ます人が増えたことと無関係ではありません。
 シャワーは体の汚れを洗い流すだけで、入浴のように体を温めることができないからです。

 体温が1度上がると体内の免疫力は5~6倍アップし、逆に1度下がると約30%も下がると言われます。
 風邪を引くと発熱するのも、白血球がウイルスと戦うために好条件とされる37.2度以上に体内温度を上げているためです。
 また、がん細胞が最も活発になるのは体温が35度の時という説もあります。
 だとすれば低体温が、いかに病気の温床となるかが分かります。

 昔の日本人が季節や労働の節目に湯治へ出かけたのも、病気を治すだけの目的ではなかったと思います。
 温泉に入ることで、体温を上げて免疫力を高め、予防を心がけていたと解釈する方が正しいかもしれません。
 先人たちは長い間に培われた健康への知恵として、湯治という民間療法を実践していたのです。

 私たち現代人も、未病のための湯治文化を、もっと生活に取り入れるべきだと思います。


 <2014年1月29日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:00Comments(0)温泉考座

2020年10月11日

温泉考座 (36) 「湯守のいる宿」


 何軒も宿のある温泉地では、一つの源泉から宿へ分湯している場合が多いので、必ずしも宿の主人が湯の管理をしているとは限りません。
 でも、“一軒宿” と呼ばれる小さな温泉地のほとんどは自家源泉を保有しているので、温泉が湧出地から宿の浴槽へたどり着くまでの一切の面倒を宿の主人がみています。
 いわゆる湯守 (ゆもり) のいる宿です。

 いい湯守は、湯に手を加えることを嫌います。
 自然に湧いた湯を、動力を使わずに、そのまま浴槽まで流し入れたいからです。
 これを 「自然流下」 といいます。

 しかし、浴槽内の湯の温度は、季節や天候により微妙に変化します。
 ですから湯守は、窓の開閉や注ぎ入れる湯の量を調節することにより、一年を通じて適温を保っています。

 法師温泉 (みなかみ町) の一軒宿 「長寿館」 は、全国でも1%未満という浴槽直下から源泉が湧く珍しい温泉です。
 足元湧出温泉は、湯が空気に触れる前に直接人の肌に触れるため、熱過ぎても、ぬる過ぎても存在しません。
 ちょうど41~42度の適温が湧出する、まさに “奇跡の湯” です。

 6代目主人の岡村興太郎さんが、湯守の仕事について話してくれました。
 「温泉とは、雨や雪が溶けて地中にしみ込み、何十年もかけてマグマに温められて、鉱物を溶かしながら、ふたたび地上へ湧き出したものです。でも地上へ出てきてからの命は、非常に短い。空気に触れた途端に酸化し、老化が始まってしまう。湯守の仕事は、時間との闘いです。いかに鮮度の良い湯を提供するかなんです」

 そして、こんなことも言いました。
 「湯守は、温泉の湧き出し口 (泉源) だけを守っていればいいのではない。もっとも大切なのは、温泉の源となる雨や雪が降る場所、つまり宿のまわりの環境を守ることです」

 周辺の山にトンネルや林道などの土木工事をされれば、湯脈が分断される恐れがあります。
 またスキー場やゴルフ場などができれば、森林が伐採されて山は保水力を失い、温泉の湧出量が減少するかもしれません。

 いい温泉は、いい湯守により代々守り継がれているのです。


 <2014年1月22日付>
  


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2020年10月09日

温泉考座 (35) 「消えた湯けむり」


 外気の冷え込む冬場に温泉地へ行くと、旅館の浴室や道路脇の側溝から、もうもうと湯けむりが上がる光景が見られます。
 「ああ、温泉に来た!」 と実感する瞬間です。
 これが温泉情緒というものでしょう。

 浴室のドアを開けると、真っ白で中が何も見えなかったという経験はありませんか?
 源泉かけ流しの温泉だと、浴槽内の湯が外気に触れて温度が下がらないようにと、窓を閉め切っている場合が多いからです。
 また温泉には多くの成分が含まれているため、水道水を沸かした家庭の風呂より濃厚な湯けむりが上がります。
 温泉の泉質によっては、この湯気を吸い込むことにより、ぜんそくなどの症状を緩和する効能もあります。

 ところが最近は大型の温泉施設へ行くと、真冬でも湯けむりのない浴室に出合うことがあります。
 こんな時、私は 「あっ、これはヤバイぞ!」 と身構えてしまうのですが、何の疑問も持たずに入っている人がほとんどのようです。
 では、なぜ湯けむりが消えてしまうのでしょうか?

 それは塩素消毒をしているからです。
 塩素を入れると、本来の温泉成分が化学反応により失われてしまいます。
 せっかくの温泉が、水道水に近くなってしまうということです。
 また塩素はガス化して浴室に充満するため、当然、換気が必要となります。

 もう、お分かりですね。
 大型の温泉施設に行くと、浴室の壁や天井で大きな換気扇がフル回転している意味が。
 本来なら湯けむりを抜いてしまうことは、浴槽の湯を冷ましてしまう行為ですから湯守 (ゆもり) は嫌います。
 しかし、入浴客の健康管理のためには、湯けむりの強制排気は仕方ないことなのです。
 その代わり浴槽内の湯は、循環装置によって常に一定の温度に保たれています。

 もし、こういった温泉に出合ったら、大量の塩素が投入されている証拠ですから、湯上りにはシャワーで体を洗い流すことをお勧めします。
 乾燥肌やアトピー性皮膚炎など肌の弱い人は、特に注意が必要です。


 <2014年1月15日付>
  


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2020年10月06日

温泉考座 (34) 「地震を見抜く」


 東日本大震災は東北地方のみならず、列島各地に大きな爪あとを残しました。
 県内の温泉地でも例外ではありません。
 震災直後は、どこの温泉宿も軒並みキャンセルの嵐。
 その後も計画停電やガソリン不足、鉄道の運休の影響で、観光地はパッタリと客足が途絶えてしまいました。

 地震の影響は、間接的な被害だけではありません。
 湯脈を断たれ、源泉そのものが止まってしまった温泉地もあります。
 かと思えば、地震直後から湧出量が何倍にも膨れ上がり、浴槽からあふれ出た湯が脱衣所を水浸しにしてしまった宿もあります。
 その後しばらくして湯量は収まったと聞きますが、温泉とは不思議なものです。

 中之条町の沢渡温泉も、地震当日から不思議な現象が起きました。
 元禄時代創業、沢渡温泉最古の 「まるほん旅館」 16代目主人の福田智さんは、10年前までは銀行員でした。
 仕事で同館を訪れているうちに、すっかり湯と先代の人柄に惚れ込んでしまったといいます。

 ある日、先代から 「後継ぎがいないので、旅館を閉めようと思う」 と相談を受けた福田さんは、「こんな素晴らしい温泉を持つ、歴史ある旅館が消えるのは惜しい。ならば自分が継ぎます」 と脱サラをして、福田家に養子に入ったという異色の経歴を持つ湯守 (ゆもり) です。

 2011年3月11日。
 地震の直後、まるで魔法にかかったようにピタリと源泉が止まってしまいました。
 すぐに福田さんは、隠居中の先代のもとへ報告に行きました。
 すると先代は 「なんの心配もいらん。じきに湯は出る」 と、まったく動じなかったといいます。
 そして3日後、源泉は何事もなかったように湧き出しました。

 地震の震動で地中の圧力ガスが抜け、一時的に湯を押し上げられなくなったのだといいます。
 しばらく経ち、またガスがたまって圧力が回復したため、温泉が湧き出したのでした。
 そのことを先代は、長年の経験と勘により知っていたのです。

 地震も温泉も自然次第ですが、それを見抜ける湯守がいることも忘れてはならない事実です。


 <2014年1月8日付>
   


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2020年10月01日

温泉考座 (33) 「守りたい入浴マナー」


 日帰り温泉施設の浴室には、「体を洗ってから入りましょう」 と注意が書かれています。
 これは何百人と入る公衆浴場でのマナーであり、源泉かけ流しの温泉では、必ずしも当てはまりません。
 特にアルカリ性の温泉には、石けん同様の洗浄効果があるため、体を洗ってしまうと洗い過ぎになり、かえって肌が乾燥してしまうことがあります。
 湯に体を慣らす程度のかけ湯だけで十分です。

 また、「温泉成分が流れてしまうから、最後はシャワーを浴びないほうがいい」 と、そのまま湯から上がって行く人を見かけますが、これもすべての温泉に当てはまることではありません。
 塩素消毒がされている浴槽の場合は、シャワーで洗い流したほうが賢明です。
 肌の弱い人は、塩素が投入されていない源泉かけ流しでも、酸性やアルカリ性が強い温泉では洗い流すことをおすすめします。

 入浴マナーで温泉宿の主人たちが嘆いているのが、入浴セットの持ち込みです。
 最近は、“湯ガール” と呼ばれる若い女性たちが、山奥のいで湯にまで出没しています。
 彼女らはシャンプーやボディーソープを持参して、ところかまわず体を洗います。

 ご存じの人もいると思いますが、昔ながらの湯治を目的とした浴場には、基本的には洗い場がありません。
 浴場は、あくまでも “湯を浴(あ)む” ところであり、体を洗うところではないからです。
 洗い場がないということは、そのための排水機能が施されていません。

 「若い女性が来ると、あとの掃除が大変なんです。浴室が泡だらけで、排水口に長い髪の毛が詰まってしまう。おまけにインターネットには 『露天風呂内がない』 だの 『シャワーがない』 だの 『ボディーソープが置いてない』 だの、散々な悪口を書かれてしまう。たまったもんじゃない」。
 こんなふうに立腹されている主人もいました。

 主人の意見には同感ですが、そんなとき私は、こう言葉を返します。
 「これはブームですから必ず去ります。ブームが去ったとき、本当に温泉が好きな人たちがやって来ますよ」 と。


 <2013年12月18日付> 
  


Posted by 小暮 淳 at 13:29Comments(0)温泉考座

2020年09月28日

温泉考座 (32) 「変わらない四万の魅力」


 <四万(しま)には、コンビニがありません。四万には、信号機がありません。四万には、歓楽施設がありません。>
 これは2011年9月に出版した拙著 『あなたにも教えたい四万温泉』 の冒頭の文章です。

 私と四万温泉との付き合いは20年以上になります。
 「四万温泉の本を書こう」 と思ったのは、あるイベントがきっかけでした。
 2000年4月、群馬県が 「ぐんま温泉紀行」 と題して、ペア2千組を県内19ヶ所の温泉旅館に優待するというキャンペーンをしました。
 全国から5万通を超える応募があり、このとき四万温泉が 「泊まりたい温泉」 の1位にりました。

 常に人気投票で1位となっていた草津温泉がダントツと予想していただけに、誰もが驚きました。
 何よりも驚いたのは、四万温泉の人たちでした。
 「地元の我々には分からない四万の魅力を、よその人たちは気づいているのではないか」 「だったら四万の良さを外の人たちに教えてもらおう」 と、その年の10月に四万温泉協会主催による 「探四万展(さがしまてん)」 というイベントが開催されました。

 県内外から画家、イラストレーター、彫刻家、カメラマンなど12人のアーティストを集めて、四万温泉をテーマにした作品作りを依頼。
 私もコピーライターとして参加しました。

 シンポジウムも開催され、参加者からは 「このままの自然を大切にしてほしい」 「不便なところが四万の良さ」 「地元の人との触れ合いがある」 など、さまざまな意見が出されました。
 また来場者から寄せられたアンケートで一番多かった声が 「何もない良さ」 でした。
 言い換えれば、大温泉地のような歓楽施設やコンビニがなく、自然と環境を邪魔するものがないから、純粋に湯を楽しめる温泉地だということです。

 四万温泉には宿が37軒(※)あり、源泉が43本(※)湧いています。
 そして何百年もの間、湯とともに暮らしてきた人たちがいます。

 “何もない” のではなく、人々の “湯がある” ことへの畏敬の思いが、変わることのない四万温泉を守り継いでいるのだと思います。

 ※現在、宿は35軒、源泉は42本(うち38本が自然湧出)。


 <2013年12月11日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 17:59Comments(0)温泉考座

2020年09月23日

温泉考座 (31) 「目で楽しむ変わり湯」


 「昭和50年代、にごった湯は汚いと敬遠されたことがあり、温泉をろ過して使おうかと考えたこともありました。今となれば、かたくなに守り通して良かったと思います」

 そう語ったのは、赤城山のふもとに湧く梨木温泉 (桐生市) の一軒宿 「梨木館」 の女将、深澤正子さんでした。
 茶褐色のにごり湯は、今でこそ温泉ファンに人気がありますが、「お湯が腐っている」 「浴槽の掃除をしていない」 と、客に理解してもらえない時期があったといいます。

 二つと同じ温泉はありません。
 温泉法で定められた泉質名が同じでも、何種類もの成分が溶け込んでいるため、色もにおいも異なります。
 硫黄成分が多いと乳白色ににごり、鉄分が空気に触れると茶褐色や赤褐色に変色します。
 またカルシウムやマグネシウムの含有によっては、光の加減や時間の経過で黄緑色や深緑色に見える温泉もあります。
 私は色を変える温泉のことを 「変わり湯」 と呼んで楽しんでいます。

 鳩ノ湯温泉 (東吾妻町) の一軒宿 「三鳩樓(さんきゅうろう)」 の湯は、何度訪ねても色が違います。
 白かったり、黄色くなったり、青くなったり、季節や天候によって毎日色を変えます。
 「まれに無色透明になる」 と、主人の轟徳三さんは言いますが、私はまだ見たことがありません。

 滝沢温泉の一軒宿 「滝沢館」 の露天風呂の湯も色を変えます。
 源泉の温度が約25度と低いため、浴槽に満たしてから加温しますが、最初は無色透明、しばらくすると黄褐色になり、やがて白濁を始めます。
 さらに時間が経過すると半透明になり、また無色透明へと戻っていきます。
 まるで “変わり玉” という飴のように、コロコロと色を変えます。

 温泉が時間の経過とともに変色するのは、湯が空気に触れて酸化し、劣化が始まっている証拠です。
 ですから、こんな時は湯口に竹の樋を渡して、新鮮な源泉を流し入れてやります。
 すると不思議、ふたたび黄褐色へとにごり始めます。

 温泉には “湯の劣化を楽しむ” という妙味もあるのです。


 <2013年12月4日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:51Comments(0)温泉考座

2020年09月20日

温泉考座 (30) 「いい宿は引き算」


  このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第3弾として、2013年4月~2015年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『小暮淳の温泉考座』(全84話) を不定期にて、紹介しています。
 (一部、加筆訂正をしています)


 「いい湯守 (ゆもり) のいる宿には、露天風呂がない」
 と言ったら、言い過ぎでしょうか?

 実は、古湯 (ことう) と呼ばれる歴史ある温泉地へ行くと、露天風呂のない旅館が少なくありません。
 それは湯守にとって、露天風呂が “いい湯を提供する浴槽” の理にかなっていないからです。

 夏には虫が飛び込み、秋には落ち葉が舞い落ち、冬には砂ぼこりが入ります。
 湯が汚れやすい露天風呂は、湯守の立場からすれば、厄介な存在なのです。
 ただ厄介なだけなら、まめに掃除をすれば済むことなのですが、露天風呂の問題点は、それだけではありません。

 常に湯面が外気に触れている露天風呂は、湯が冷めやすいという欠点を抱えています。
 それゆえ源泉が高温でないかぎりは循環装置を使い、加温し続けなければなりません。
 内風呂に比べて、経済的負担も大きいわけです。

 加えて、野外で日光にさらされるため、藻が発生します。
 藻が付着すると、レジオネラ菌が繁殖しやすいという悪条件のおまけまで付いてしまうのです。

 「こんなに湧出量があっても、露天風呂は造らないのですか?」
 と、山あいの温泉宿の主人に質問したことがあります。
 すると主人は、
 「先祖から 『湯に手を加えるな、湯舟を大きくするな』 と言われています。1時間で浴槽内すべての湯が入れ替わるよう、湧出量に見合った大きさを守っています」。

 この宿の浴室には、シャワーもカランもありません。
 洗い場がないのです。
 「温泉は、体を洗う場所ではない」 という先祖の言いつけを、かたくなに守り続けていました。

 「あれもある、これもある」
 「こんなサービスもあります」
 という “足し算” をしてきたのが、現在の観光旅館の姿です。
 でも、湯に自信がある湯守のいる宿は、とことん無駄と不必要なものを省いた “引き算” をしています。

 「その代わり、うちには極上の湯がある」。
 そんな頑固一徹な主人の心の声が聞こえてくる宿こそが、私は、いい温泉だと思うのです。


 <2013年11月17日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)温泉考座

2020年09月16日

温泉考座 (29) 「消えゆく混浴」


 「古湯(ことう)」 と呼ばれ、何百年と湯を守り続けてきた温泉地には、いくつかの共通点があります。
 必ず、温泉神社や薬師堂が祀られています。
 霊験あらたかな湯に対して、先人たちが畏敬の念を込めて建立したものです。

 次に、外湯 (共同湯) があります。
 現在のように各旅館に温泉が引かれたのは、戦後になってからのこと。
 それ以前は、湯治客は宿から 「大湯」 と呼ばれる共同湯へ入りに行きました。
 ですから現在でも外湯が残されている温泉地は、歴史が古く、湯量が豊富な証拠だといえます。

 もう一つ、古湯の条件に入れたいのが “混浴” の存在です。

 昭和23(1948)年に公衆浴場法が制定されて以降、日本では県条例で不特定多数の成人男女の混浴は、原則として禁止されています。
 旅館やホテルの浴場には、この条例は適用されません。
 それでも、昔ながらの純粋な混浴風呂は、年々減少の一途をたどっています。

 混浴の浴場を持つ宿でも水着や湯浴み着、バスタオルの着用を義務付けたり、女性専用時間帯を設けているところが多くなっています。 
 また女性客からの要望からか、新たに女性専用風呂を増設する宿も少なくありません。

 浴槽を増やすということは、それだけ多くの湯量を必要とします。
 そのために、かけ流しをやめて循環式にしてしまう、という本末転倒な事態が起きています。
 湯量を増やすために、新たに源泉を掘った温泉地もあります。

 では、どうして昔は混浴が一般だったのでしょうか?

 その答えは簡単です。
 貴重な温泉を大切に利用するために、1つの浴槽を男女で兼用していたからです。
 言葉を言い換えれば、“湯の都合” に人間が合わせていたと言えます。

 現代社会にあって、“混浴” という入浴スタイルは、馴染めない風習かもしれません。
 これからも廃れる一方でしょう。
 しかし、その中に湯を大切にする日本文化、先人たちの知恵があったことを、私たち現代人は忘れてはならないと思うのです。


 <2013年11月13日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)温泉考座

2020年09月14日

温泉考座 (28) 「清掃時間の確認」


 <温泉旅館で60代男性死亡 レジオネラ菌で肺炎>
 <基準値の1800倍のレジオネラ菌を検出>

 2011年11月、新聞は一斉にショッキングな記事を報じました。
 群馬県内で発生したレジオネラ菌による死亡事故です。

 この舌をかんでしまいそうな細菌の名前が知られるようになったのは、02年の夏に宮崎県の温泉施設で起きた集団感染からでした。
 感染者数は約300人、死者7人という未曽有の大惨事となりました。

 レジオネラ菌による死亡事故は以前から発生していたのですが、件数が少なかったため全国レベルでの対策が遅れていました。
 また事故の多くが 「循環式風呂」 で発生していました。

 循環式風呂とは、温泉を何度も再利用する方式のことです。
 ろ過、殺菌、加熱をしながら湯を浴槽の中で循環させ続ける “魔法の装置” と言ってもいいかもしれません。
 この装置が登場したおかげで、湧出量の少ない温泉でも大型の入浴施設を造ることが可能になりました。

 ところがレジオネラ菌にとっては、これが絶好の繁殖の場となったのです。
 レジオネラ菌は、土中や河川に生息します。
 従来の放流式(かけ流し)の浴槽なら、たとえ菌が入っても流されてしまうので問題ありませんでした。
 しかし、その菌が繁殖に適温とされる湯の中で循環し続けると、爆発的に増殖し、飛沫から人間の肺に入り込み感染するのです。

 もちろん、多くの循環式風呂は、きちんと衛生管理がされています。
 それに循環式だけが危険というわけではありません。
 かけ流し風呂でも、清掃が行き届いていなければ同じことです。

 温泉旅館に泊まって、夜中や朝方に風呂に入ろうとしたら、清掃中だったという経験はありませんか?
 「なんだ、24時間入れないのか!」 と立腹される人もいますが、実は、こうやって毎日、湯を抜いて清掃している宿が、いい湯守(ゆもり)のいる宿なのです。

 宿によっては、客のいないチェックアウトからチェックインの間に清掃を行っている宿もあります。
 温泉宿に行ったら、ぜひ清掃時間の確認をしてください。


 <2013年11月6日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:03Comments(0)温泉考座

2020年09月11日

温泉考座 (27) 「料金設定の不公平」


 そもそも湯治場としての温泉地には、ハイシーズン料金もオフシーズン料金もないのですが、いつからか季節や時期によって料金の異なる温泉旅館が多くなりました。
 “稼ぎ時” に宿泊料金が高くなるシステムのことです。

 温泉好きの人たちは、ゆっくりと温泉に入りたいという理由で週末や連休を避けて、平日に利用する人が多いようです。
 私は取材で温泉地や温泉宿を訪ねますが、先方が忙しい “稼ぎ時” を避けてオフシーズンや平日にお邪魔しています。

 でも一般の勤め人は、休みの取れる週末や連休に温泉地へ行く人が、ほとんどだと思います。
 この時期は、どこの観光地も混雑し、宿に着いても人であふれ、十分なサービスを受けられないのに、なぜか宿泊料金が高く設定されています。

 「稼ぎ時だから仕方ない」 と、当然のようにあきらめているようですが、私はそうは思えません。
 平日と休日の料金設定は、逆のような気がするのです。
 では、なぜ休日前やハイシーズンといわれる期間は、利用金が高くなるのでしょうか?

 「週末やハイシーズンを高くしているのではなく、客の少ない平日を安くしている分、忙しい時期で調節しているのです」 と言った経営者がいましたが、どうもこの答えには納得がいきません。
 では、この宿の平日料金が極端に安いのかといえば、そんなことはないからです。

 黙っていても客が来る週末や連休に料金設定の基準を置くか、もしくは平日より安くするべきです。
 なぜならハイシーズンは館内が混雑し、風呂の湯も汚れやすく、食事も手間をかけられず、サービスが行き届かないからです。
 これでは、ゆっくりと過ごせ、新鮮できれいな湯に入れ、十分なサービスを受けられる平日との差があり過ぎます。

 私が知っている湯守(ゆもり)のいる宿は、季節や時期によって宿泊料金を変えてはいません。
 それは季節や時期に関係なく、供給される新鮮な温泉の湯量に見合った宿泊人数しか受け入れていないからです。
 これならば、平日の客と休日の客に、サービスや料金の差が生じることはありません。


 <2013年10月30日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:06Comments(0)温泉考座

2020年09月08日

温泉考座 (26) 「心の湯治」


 日本では、温泉を利用して病気を治療する 「湯治」 が、古くから行われてきました。
 その効果は、医学が進んだ現代でも高く評価されています。
 では、なぜ温泉は体に効くのでしょうか?

 温泉には3つの効果があると言われています。
 1つは 「化学的作用よる効果」 です。
 温泉水に含まれている化学成分が、入浴することで皮膚から吸収されたり、ガス成分が呼吸を通して体内に吸収されたりすることで、体に薬理効果を生みます。
 また飲用すれば、吸収された成分が血液に入り、様々な効果をもたらします。

 2つ目は 「物理的作用による効果」 です。
 これには、3つの作用があります。

 まず、温泉の持つ熱により体が温められ、新陳代謝の促進や自律神経の調整に効果がある 「温熱作用」。
 温熱は、神経痛や筋肉痛、関節痛などに効果的に作用します。

 次に、体にかかる水圧により筋肉などへのマッサージ効果や運動効果がある 「水圧作用」。
 手足への血流が良くなるため、入浴を繰り返すことにより、全身の血行が促進されます。

 最後に、水中で働く 「浮力作用」。
 体重が約9分の1に感じられ、足腰や関節への負担が軽くなり、運動麻痺などに対するリハビリ効果が得られます。

 以上が温泉水そのものが持つ効果ですが、温泉の持つ効果は、これだけではありません。
 最大の効果は、“温泉地へ行く” という行動そのものにあります。

 日常生活やストレスから解放され、温泉地の美しい景色や自然環境を楽しみ、リラックスすることで、心の健康回復に役立つ作用です。
 また環境の変化により、脳への刺激を高め、ホルモンバランスや自律神経機能を整え、健康を促進する効果があるといわれています。
 これを 「転地効果」 といいます。

 化学的作用や物理的作用だけならば、街中の日帰り温泉施設や温水プールでも効果を得られるかもしれません。
 しかし、転地効果だけは、温泉地へ行かなければ決して得ることはできません。
 これこそが、現代人が温泉に求めている “心の湯治” だと思います。


 <2013年10月23日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(0)温泉考座

2020年09月05日

温泉考座 (25) 「ぬる湯の楽しみ方」


 前回、加水や加温をせず、湯に人が合わせて入る温泉の話をしました。
 草津温泉のように、熱い湯に時間を決めて入る温泉もありますが、逆に、湧き出したぬるい湯に長時間入る温泉もあります。
 一般的に、40度以下の温泉で行う入浴法のことを 「持続浴」 や 「微温浴」 と呼んでいます。

 ぬる湯の温泉は、昔から湯治場として栄えた歴史のある温泉地に多く見られます。
 群馬県内にも、いくつかあります。
 その中でも約34度という体温より低い源泉を、そのまま浴槽に引き入れている温泉宿を紹介します。

 中之条町にある大塚温泉 「金井旅館」 は、山里に囲まれた田園風景の中にたたずむ一軒宿です。
 開湯は古く、すでに文禄年間(1592~96)には、沼田城主の真田信之の妻、小松姫の知行地となり、街道沿いの温泉として栄えたと伝わっています。

 宿の創業は明治時代。
 4代目主人の金井昇さんが 「うちは動力を一切使わない、源泉ぶん(かけ)流しだよ」 と自慢する源泉の湧出量は毎分約800リットル。
 その豊富な温泉水を利用して、ティラピア(和名・イズミダイ)の養殖も行っています。
 水温が高く、一年中エサを食べるため、成長が早いといいます。
 シコシコとしたマダイのような食感があり、宿の名物料理となっています。

 ぬるい湯は、長い時間入浴できるため、薬効成分が肌から吸収されやすく、皮膚病に効く温泉が多いのが特徴です。
 また長湯により血行が良くなり、老廃物や疲労物質が排出されるため、精神の鎮静作用が高いことなどから、ヒステリーや不眠症、うつ病などに効能があるといわれている温泉もあります。

 いつ訪ねても、浴室には近在から通って来る常連客や長期滞在する湯治客の姿があります。
 1日8時間以上つかる人はざらで、中には15時間以上入り続ける強者(つわもの)も。
 浴槽の縁に頭をのせて体を浮かせながら寝ている人や、本を持ち込んで湯の中で読書にいそしんでいる人など、思い思いの入浴を楽しんでいるのも、ぬる湯の湯治場ならではの光景です。


 <2013年10月16日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)温泉考座